覆面の羊

『覆面の羊』は船木涼介さんの作品です。病院の地下の施設で来訪者への面接を担当している案内人の美月。麗しい美少女ですが、面接の際には覆面をし、決して素顔を見せません。

美月は地下の施設しか知りません。ヤマダという老研究者が美月の身の回りの世話をしています。

ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。

この施設はヒトのクローンをつくっています。来訪者は亡くした近親者のクローンを求める依頼人。秘密を守ることを約束できないと、記憶を奪われ、施設に飼い殺しにされてしまいます。

クローンは赤ちゃんの状態で造られ、成長促進剤を投与されて依頼人の求める年齢にまで育てられますが、促進剤の投与には適切な制御が必要です。

待ちきれずに異常投与をしたクローンは皮膚が破け、異常な死を遂げます。施設は状況を監視していていち早く依頼人を捉え、記憶消去の措置をとります。そこから情報屋の榊がうごき、榊は美月を外界に連れ出し美月は初めて外の世界に触れて自意識を持ちます。

美月と榊は施設だけでなく暴力団にも追われ、死闘の末、美月は施設に戻ります。

美月は、芸能プロダクション社長の和久井が、女優の美幸(本名美月)のクローンとして施設に配備した少女でした。半グレだった和久井は美月と出会って以来、彼女に対して並々ならぬ期待を持って、ゼロから事務所を立ち上げて彼女を大スターの座につけました。そんな美幸ももう中年です。施設のそのスペアとして造られたのでした。以前は和久井に言われるがままに案内人をしていた美月でしたが、今は自分の生き方に面と向かっています。自分の意思を持った美月を和久井は認めず、またクローンを造ればいいと美月を殺そうとします。

榊は、中国人半グレ、黄とともに施設に乗り込みます。黄の超人的な動きに施設のスタッフは振り回され、美月の防御の手も薄くなります。そこをついて榊は美月を和久井の手から救います。施設は壊滅し、美月は美幸との面会を求めます。

和久井はひとり屋上に立ち、美月と自分との関係を振り返って自分の無能に絶望して自殺します。愕然とする美幸の前に現れた美月に、美幸は、自分もまたオリジナルの美月ではなくクローンであって、和久井にとっての運命の人ではないと打ち明けます。美幸は美月を伴って自殺しようとしますが、榊に阻止されます。

2年後、美幸は女優を引退し、19歳になった美月は養護施設に勤めています。自分の人生を、美月は歩み始めたのです。

表紙とタイトルの覆面が気になって、絵もキレイだったのでこの作品を読み始めました。最初は約束を守れなかった依頼人の記憶を奪い、飼い殺しにするシーンからはじまるので、とてもおどろおどろしいお話に思えました。でも、テーマとしては、何も知らなかった美月が自分で意思を持って生きていくさわやかなお話だったと思います。

実際、お話が進むと、榊は暴力団組長に目を潰されて、カメラ付きの義眼を左目に入れて、情報屋として暴力団や半グレと対等にやりあっています。さらに、暴力団に恨まれて、命を奪うことだけを目的に廃倉庫に呼び出されたりするなど、切羽詰まった人生を送っています。

この作品の魅力は、そういった黒社会や、施設の黒いところががっつり描かれているのに対して、美月やヤマダさんがピュアに描かれているところです。ヤマダさんは施設の実情を知っているので、ピュアな研究者ではないのですが、美月を親として見つめるその瞳はピュアです。そして世間のことを何も知らず、和久井に与えられた案内人という立場を務めあげ、約束を守れない人への措置にも疑問を持たない美月は文字通りピュアです。

美月のピュアさが最初からとても気に入ったので、榊が現れたときは、美月の意図に反することをする敵対的な立場かと思ってドキドキしました。でも実際には、榊は美月が世界を知り、自分の意思をもつきっかけをつくる立場になったので、ほっとしました。

榊と美月が依頼人にあったエピソードも描写されています。読者は、男性の娘がクローンで、その母親はクローンを依頼したものの実際にクローンが来たら逃げ出したと思うように誘導されますが、実際は男がクローンで、人間の大人としての経験がないにも関わらず父親としての役割を果たそうとしているのです。男の決意を知り、榊は、情報屋である自分は、何も持たない男に住民票など身分証を提供することができると提案したりしています。榊は暴力団や半グレには冷徹な対応をしますが、そうでない人には優しい男のようです。

黄が現れたときも、美月や榊に感情移入している立場から見ると「厄介そうな男が現れた」と思いました。黄は日本で育ったのではなく、日本人とは違う常識と、日本人だったら持たない野望を持っています。日本人だったら「血に狂っている」と思うところもありそうですが、黄は黄なりに抱えているものがあって、それによって非道な人生を歩んでいます。そのため、どんな動きをするのかがまったく想像できず、扱いにくい敵になるのではないかと思ってしまったのですが、意外にも黄は榊の事実上の飛び道具として扱われました。その最後は、厄介どころか、ある種の崇高さを感じさせるものだったと思います。

そうこうしているうちに、和久井に殺されそうになっていた美月を榊が救いに現れるあたりのお話というか、舞台の転換が、私にはとても小気味よく感じられました。漫画を読んでいるというより、お芝居をみているような感じで、とてもおもしろかったです。

女優の美幸がオリジナルの美月ではなく既にクローンだったというのは、美幸本人が告白するより前に、和久井のストーリーの中で示唆されているし、美幸のそれまでの行動の中でも美幸と和久井の間に、美幸にとって歯痒いものがあることが示されていたので、驚きはないし、作者さんもそのことで読者に驚きを感じさせるつもりはなかったと思います。でも、読者としては、美月と一緒にそこで初めて「オリジナルじゃない」とはっきりさせてもらったほうがよかったような気がします。そのほうが、和久井が既にオリジナルではない美幸のクローンとして美月をつくった意味も、今の美月が自分の好みでなくなったら簡単に美月を殺そうとしたことも、読者として衝撃を持って受け止められたような気がします。

美月を巻き込んで自殺しようとする美幸を、榊が救うところは、重力的にちょっと無理があるかと思いました。二人の人間が落ちそうになるのを一人の人間が押し留めるのは難しいかと。榊は怪力無双なキャラではないので、もうちょっと早めに止めるシーンを描くのでもよかったなあ、と思ってしまいました。そういう細かい、ストーリー上正直どうでもいいことが気になるのは、かえってそれ以外のところが上手く描かれているからで、自分がこの作品を夢中になって読んでしまっていたことがよくわかります。

ラストは、あんまり好青年でもなさそうな同僚とデートする美月のことがきになっちゃいました。うーん、私がそう感じただけで好青年なのかな?でも、施設しか知らない美月には、美月のバックグラウンドをよく知ってて受け止めてくれる、酸いも甘いもかみわけた、榊のような青年と一緒になってほしいのになー、と思ってしまうのでした。美月の弾けた笑顔で終わらなかったのは残念ですが、そんなラストもそれはそれでよかったです。

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