『心音』はあすかむさんの作品です。健康診断で医師から「とてもキレイな心音だね」と声をかけられた中学生の少年がその言葉に心を奪われ、やがて医師になってかの医師と再会します。
単行本には『心音』のほか『右頬のきずな』と、単行本限定の描き下ろし『久瀬先生』が収録されています。
Renta!では青年漫画のジャンルに入れられています。
ここから先は、完全ネタバレを含む感想なのでご注意下さい。

久瀬道弘は医師の言葉から「キレイな心音ってなんだ?」と考え込み、ついにはお小遣いで聴診器まで買ってしまいます。姉には心音を聴くのを断られましたが、たまたま放課後の教室でふたりきりになった女生徒の早川が心音を聴かせてくれます。早川は「久瀬くんって変わってるよね」「本当の自分を隠してる感じ?」と指摘したあと、自分が恋愛対象として女子を好きだと打ち明けてくれます。久瀬が、自分が早川と同じだとしたらどう思うか、と尋ねると「あたしがどう思うかは関係ない。久瀬くんが自分の声を聞くべきだと思う」と、明るく答えてくれます。
それから時が経ち、久瀬は医者になり、奇しくもあの医師と再会します。医師は結婚しており、もうじき子供が生まれると言います。
久瀬はあの言葉の意味を聞きますが、周囲の同僚たちも会話に加わり、医師は「キレイな心音」のほか「キレイな呼音」「元気な消化音」など、メガネをかけた人に「かっこいいメガネですね」と言うのと同じくらい、深い意味なく適当に声をかけている、ただ、独特の間合いがあって「人たらし」だと評価されていることがわかります。
あの言葉に特に意味はなかった。「・・・そうですか」とだけ答える久瀬。翌日?同期から「なんかいいことあった?」と話しかけられます。今日からアサインされた3階の入院患者の診察にむかう久瀬。病室では少年が「また男だ」と迎えてくれます。久瀬は心音を聴き、少年にどんな音か尋ねられると、生きていくという決意の音、と答えます。

表紙の素朴系の絵柄に惹かれて試し読みし、落ち着いた空気感が気に入って読みました。「キレイな☓☓」という表現は、確かに時々お医者さまの口から出てくる聞いたことあるような気がします。体調悪い状態から少し回復したときとか、体調不良があって不具合を疑って検診受けたけれどまったく問題なかったときとか。
ただ、この作品での先生は、去り際の生徒をわざわざ呼び止めてステキでサワヤカなイケメン顔で「キレイな心音」とか言うので、そりゃあ少年少女が恋しちゃってもしょうがないですとも。
恋。そう、久瀬くんは、早川さん同様、同性に恋心を抱く人です。中学生時代の友達との戯れ方をみると、多少ベタベタしている感じはありますが、中学生男子がわあきゃあ言いながら抱きついていることには、たまに私が現実で見かける子どもたちのことを考えても、違和感ありません。
高校時代の久瀬くんは医学部を狙ってしっかり勉強して、先生から褒められ、周囲の男子が、久瀬だけずるい、俺にもスキンシップしてよー、みたいなことを言います。これはちょっと「ん?高校生男子ってこんな感じ?」と思いますが、いかんせん、私は女子校出身なので、何もわかりません。
大学生になると、直接的に男性の恋人とベッドに入っていて「あ、やっぱり男性にいったのか」と思います。ここではカレシがあの医師のハナシを聞いて嫉妬し、「俺も道弘の人生に影響与えてぇなーー」とこぼします。ここ、大好き!若い頃って、自分の大切なひとが、自分きっかけで、何かを決めたり止めたりするのは嬉しかったです。もちろん、ポジティブな文脈での決断に限りますが。
そののち、あの医師に巡り会えたのは出来すぎではありますが、久瀬くんにとって人生の導になった言葉が、とりたてて意味のないものだったのも、なんか好きです。このいい人ぶりはよく考えるとダメ人間にもつながる態度ではあることはちょっとだけひっかかります。そこまで深読みしなくても、「大した意味がない言葉に、俺は勝手に意味を見出してたのか」と、落ち込んじゃうハナシにもできるわけで、そうではなく、あくまでも自分の人生にキラキラを持っている久瀬くんを読めたことで、スッキリした読後感があります。
同時収録されている『右頬のきずな』では、私が愛するぬいぐるみがきずなのきっかけになるので、こちらもとりわけハッピーに読みました。

あすかむさんの線、色づかいが穏やかで、心が和みます。
少年愛からBLへ――私と男性同士の恋愛を描く漫画
ここからちょっと、ゲイを扱った漫画についての話をします。私は、BLに分類されている作品は読むことは稀です。これは偏見と言ってもいいです。現実世界では、女性に淡い恋愛感情を寄せた経験はあって、女性を憎まないタイプのLGBTQの人には抵抗ありません。
エビデンスのない思い込みなんですが、私の世代以下の漫画好き女性って、同性愛を描いた作品に抵抗ないひと、多いんじゃないかな?原因はもちろん、竹宮惠子さんの『風と木の詩』に代表される、男性同士の恋愛を描いた、一連のメジャーな漫画作品です。萩尾望都さんの『トーマの心臓』を恋愛ものと見るかどうかは人によると思いますが(私は信仰の話だと捉えてました)、青池保子さん、山岸涼子さん、木原敏江さんなどなど、大御所がこぞって男性同士の恋愛を前提とした作品を描いていました。
だいぶ経ってから漫画家ではない女性が分析しているエッセイがあって、「彼女ら(漫画家さんたち)は、純粋な恋愛を描きたかった。しかし、少女と少年の肉体関係を伴う恋愛には妊娠出産が不可避であり、テーマが変わってしまう。だから少年同士の恋愛に置きかえたのだ」と評していたと思います(うろ覚えでごめんなさい)。
なるほどー。と思う面もありますが、読者としてはちょっと疑問にも思います。たとえば、風木を描いた竹宮さんがジルベールとセルジュを描いたとき、「男女を描きたいけど妊娠させたくないから少年にしよう」と考えたとは、とても思えないんです。あくまでも、美少年から美青年になるジルベールとセルジュの間に流れる長年の情愛を描きたかったんだと思ってしまうんです(とはいえ、風木は最初の数巻と最終回に至る数カ月分しか読んでません)。なんか、セルジュには複雑な心情を抱くガールフレンド未満の女性たちもいたような気がするし。代替を想定してなんか、描いてないと思う。あくまで、そう信じたいファン心理に過ぎないかもしれませんが。耽美な少年愛を扱った有名な雑誌、JUNEは、まともには読んでいないので、そちらではそういう作家さんも多かったのかも???わかりません。
その後「やおい(ヤマなし、オチなし、イミなし)」と言われた同人誌の全盛期があって、さらにその後、商業誌でBLというジャンルが確立されたと認識しています。
私は今市子さんの『百鬼夜行抄』が大好きで、今市子さんの作品を手あたり次第に読んでいたらBLも多く、また、ムカシから大好きだったかわみなみさんの作品もBLがあったので、読みました。それらは、「少女の代替」などではないし、耽美でもないし、自然に人間として人間に恋する気持ちが描かれていて、説得力がありました。
私がBLを避けるようになったきっかけ
ある日、間違えて買った作品で、BLの違った面を学びました(好きな作家さんと似た名前のBL作家さんの本を買ってしまったんですwww)。
そこには、ストーリーらしきものがほとんどなくて、ただただ男性のいきりたったイチモツに興奮しあう男子高校生たちが描かれていました。レイプまがいのシーンもありましたが、心情よりは男性のヌードを描いて、さらに露骨な描写をすることが目的のように感じました。おもしろいのが、女性同士のカップルもでてくるんですが、こちらは作家さんがまったく興味ないみたいで、制服同士で手をつないで自分たちの性行為をセリフで示唆するだけなんです。
この作品との出会いは、正直、ショックでした。男性向けのエロ漫画ももちろん読んだことがありますが、この分野での多くの作品は女性の行為中の姿や性行為を中心に男性に隷属するさまを見せつけて男性の劣情を煽るのが目的だと捉えています。でもこの作品では、性的に興奮するのではなく「自分は絶対に安全」な立場から、男性たちの性的興奮や傷つく気持ちや肉体を描写することに主眼があると感じました。「噂のやおい本が進化して商業レベルになったのが、BLなのか!?」と、ショックをうけてしまいました。
この作家さんも、現実に男性が男性にレイプされるのを見たくなどはなくて、あくまでもフィクションだからこそ、楽しんで描いていらっしゃるんだとは思うのですが。私は本能的に「レイプ」は恐ろしいと感じて、作品に緩急をつけたり、登場人物の人生に困難をもたらすためだけにレイプを活用する創作物がすごく嫌いなので、「こんなに気軽にレイプを扱うのはいやだ」と感じ、BLに手をだすときにはかなりためらうようになってしまいました。
自分が体験できない人生を描くということ
そこから少し離れて。私は以前から、自分が絶対に体験し得ないことを描くことの難しさが気になって気になって仕方ありません。一般的に、創作において、作者は自分の視点を外すのは非常に困難だと思います。複数のキャラの心情をつくるときに、自分の考え方が反映されてしまうのはやむを得ないことです。だから、創作者はいろんな人を観察したり他人の作品に触れたり心理学や実際に起こった事象を研究したりして、複数の人間の心情を構成するための努力を続けているんだと思います。時には、「連載が長期化するとすべての登場人物が作者さんのコピーになってしまう」ことがあります。すごく好きな連載がそうなっていくと、読者としてかなしくなったりします。
私がもっとも難しいと思うのは、IQxxxの天才またはサイコパスが主人公の作品です。多くの作者はいわゆる「常識」をもっていて、読者が何を楽しいと思うか想像できるからこそ、作品を描けるのだと思います。本当のサイコパスの人は、サイコパスのキャラがでてくる作品を描けるかもしれませんが、一般人の読者はそれに共感できないというネックがあります。
女性が描くBLも、同様の難しさがあると思います。かわみなみさんや今市子さんの描く男性たちが持つ恋愛感情自体は、人間として普遍です。でもたとえば「好きな男に僕の本心を知られてしまったら、嫌われてしまうかもしれない」という苦悩は、現実世界において、男性と女性の立場が異なることが多いという理由で、女性作家さんが実体験することは非常に困難です。ということは、作品も想像で描くしかありません。その行為をずっと続けることが、創作活動だと私は思います。
前述したBLが仮に「男性の体の細部を描くのがすき。そこに表現力を尽くしてるし、それを描くことが必然となるストーリーを必死で構築する」という視点から描かれていたとしても、それも確かに創作です。ご本人や、多くの読み手にとっては、切実なのかもしれません。ただ、私は個人的な好みとして、そこには惹かれません。この「間違って読んじゃったBL」の暴力的で直接的な性描写がトラウマで、私は普段、BLを避けてしまうことが多いです。
『心音』に感じた、飾らない心情の自然さ
さて、やっと『心音』の話に戻ります。
この作品の絵柄から受けるイメージは、素朴な日常を丁寧に送っている人々の生活です。そして、思春期に医者から言われたことがきっかけで医者を目指すのも、普遍的な心情として理解できます。だから、この作品の表紙を見て、リード文を読んでRenta!で購入したときには、これがBLだとは気づいてませんでした。実際、Renta!上で分類されているジャンルも、BLじゃなくて、青年漫画、人間ドラマ、医師・看護師、になってます。
心音を聴かせてくれる女の子がでてきて、淡い恋愛感情が発生するのかと思いきや、彼女は自分は女の子が好きだと告白し、主人公のことを「変わってる」と評します。友達とじゃれあう主人公を見ても「中学生男子同士がくっついてきゃあきゃあ言ってても違和感ない」と思います。医学生になって、男性の恋人とベッドインしてるのを見て「やっぱそうかあ」と答え合わせをもらった気になります。そこで上述の「恋人の人生に大きく影響を与えたい」という言葉にキュンキュンします。
すごく自然です。『右頬のきずな』も、ぬいぐるみの持ち主がかわいらしい女性じゃなくておじさんで、そしてそのおじさんとぬいと一緒に暮らしてるのの、すごく自然です。しかも、ぬい、増えてるし。シアワセ。読者として「あ、ゲイのお話なのね」と構えるポイントなんていっこもなくて、主人公が男性を愛していることを自然に受け入れられます。
ただ、、、男同士で密着して恋人の心音を聴いている絵柄は、私には華やかというよりはむさ苦しいのほうにベクトルが傾いちゃうかなー。男女、女性同士、美少年同士の方が、華はありますね。ただ、この作品では、華やかではないことが、むしろ、自然で安心感のある日常に見えて、愛おしいです。

誰かが誰かを好きになる、その空気感
読了後、気になって調べてみたら、作者さんはゲイを公言している方で、男性です(少なくともそう公表されています)。そうかそうだったのか。
ゲイの方が、男性同士の恋愛を自然に描く作品を、普通に一般書籍で読める世界になったんだ。この作品には、女性が、「自分は絶対恋愛対象にならないから」と安心しつつ、男性同士の恋愛に憧れて美化して妄想する、そんな視点はありません。「多分、男性に惹かれる男性はこんな気持ちなんだろう」という想像もありません。ただ、男性が男性を恋人にするということが、自然に描かれた作品だと感じました。
今市子さんやかわみなみさんの作品の男性同士の恋愛にも、わざとらしさや美化や意気込みは感じません。でも、あすかむさんの作品は、言葉では説明できないけど、それよりもっと自然に、男性が男性を好きになる空気がある気がしました。
ここに重点を置いてしまうのは、多分、私が思春期ずっと女子校で過ごして大学もほぼ女子校で、肉親とごく数人の男性教諭以外の男性と接点がまるでなかったので「男の人は、私とはまったく別の種類の生き物」と、無意識に思ってしまっていることが原因かもしれません。人間は性別に関係なく人間だ、という捉え方をできていれば、恋愛対象が誰であろうと、本質は変わらないはずです。母校は好きだけど、人格形成時期に、女子校とか男子校とかで異性と隔離されきって過ごすの、情操教育上、あんまよくないかもですねー(笑)。

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