『生者の行進』はみつちよ丸さんの作品です。主人公の泪(るい)は小学生の頃弟のトモキが亡くなって以来、霊がみえるようになってしまいました。高校生になった今でも誰にも打ち明けず毎日みるものを受け流しています。
でもある日コンビニ店員のアルバイト中に見たものにはさすがに動揺します。
ここから先はネタバレなのでご注意下さい。
[著者]みつちよ丸
女子高生客についたそれは唇のバケモノ。泪は必死で目をそらします。女子高生はその日亡くなり、バケモノは泪の幼なじみ、まどかに付きます。泪はバケモノが亡くなるまでの日にちを数えているのに気づきます。
泪はまどかに警告します。まどかは泪を信じ、おびえます。夜になると唇のバケモノが見えるようになり、毎晩執拗に襲われます。泪は憔悴するまどかを守るため、女性刑事の東雲に助けを求めます。東雲についている東雲の亡き姉の霊のことを指摘する泪を見て、まどかがあぶないという話を東雲は信用します。
東雲の警備は霊には効かず、泪とまどかは除霊師の省吾を頼ります。省吾はバケモノは生霊なので一時的に遠ざけることはできるが根本解決にはならないと言います。唇のバケモノはいなくなりますが、別のミイラ様で包丁を振りかざすバケモノが現れ、まどかはくつろぐことができません。
まどかのいかつい兄、浩二は過保護な兄で、泪は怖い印象しか持っていませんでしたが、浩二は泪に「まどかを頼む」と言います。恋人の妹が行方不明になっていて、恋人を支えないといけないというのです。
東雲は、捜査情報とまどかたちからのヒアリングで、浩二の友人、水戸があやしいと見当をつけます。実際、まどかの家のそばをうろついていた水戸は逮捕されます。
浩二の彼女の妹は遺体で発見されます。浩二はひょんなことから、犯人が水戸ではなく別の友人、瞬であることに気づき、本人をといつめます。瞬はあっさりと認めます。瞬はまどかを狙い、できるだけひどい死なせ方を練習するため、まどかと同世代の女性たちを殺していたのでした。それは、目の前で妹が辱められ殺されたときの浩二の表情がみたいから。
泪は、バケモノが2ついたことから、水戸が捕まっても警戒を解かず、まどかと省吾と一緒にいました。そこに瞬から連絡が入ります。瞬は、浩二を死なせたくなかったらまどか1人で来いと呼び出します。省吾は連絡のつかない東雲を呼び出すことになり、まどかと泪はふたりで行動しますが、まどかはあっさり瞬にクルマで連れ去られてしまいます。
まどかは力を振り絞って、クルマを崖から転落させます。泪は弟トモキの霊の導きで事故現場をつきとめ、まどかを追います。一方、省吾は東雲と会って話しているうちに泪の能力にきづきます。その力を信じて省吾は瞬に惨殺された少女たちの霊に語りかけ、殺した瞬への怒りを爆発させます。
まどかを追う泪は、死者たちが自分を殺した瞬の下へと行進する様を見ます。泪がまどかに追いついたとき、瞬は縛りつけた浩二の前でまどかを襲おうとしていたところでした。ここで泪も自分の能力に気づきます。泪は人を霊が見える体質に変える力があるのです。泪が犠牲者たちの名前を呼び上げ「自分の周りを見てみろよ」と瞬に声をかけると、瞬は自分を恨む少女たちの痛ましい姿が目に見えるようになります。
省吾と東雲が現場に駆けつけた時に目にしたのは、死ぬより辛い地獄に捕らえられた瞬の姿でした。
2年半後、まどかはまだ、泪を含めた男性に触れることができませんが、少しずつ前に進むと、そして泪はまどかを守ると誓うのでした。
この漫画を読んだのは、1巻の表紙のまどかと、冒頭にでてきてすぐ殺されちゃう小栗美弥の顔がかわいかったのと、唇のバケモノ(瞬の生霊)がものすごかったからです。唇の生霊は、ほんとにインパクトありました。
私は素直にミスリードされて水戸が犯人だと思っていたので、水戸が逮捕されても決着がつかないので残念でした。ここで話が終わってしまってはもちろんつまらないのですが、ずっと気味の悪い生霊に苛まれているまどかがかわいそうで、早く決着ついてくれ、という一心でした。
省吾がまだこの世に留まって混乱して苦しんでいる美弥たちの霊に訴えかけて、不本意に突然生を奪われた彼女たちの怒りを爆発させるところから、瞬に与えられた罰をみんなが理解するまでの流れは怒涛のようでした。省吾が泪に後を託した時点では泪の能力は泪だけでなく私にもわからなかったのですが、死者の行進のように、殺された女の子たちが瞬を目指して進んでいくところでは鳥肌がたちました。悲しみ、苦しみ、混乱、それらがすべて怒りとなってまっすぐ瞬に押し寄せていくところが、死者への恐怖ではなく、不思議な共感となり、自分の気持ちも、色のついていないうねりになっているように感じました。
泪の能力は説得力ありました。最初は唇おばけにしがみつかれても何も感じないでいたまどかに、夢とはいえ霊が見えるようになり、のしかかられたり舐め回されたりを感じるようになったのは何故なんだろう、と、読みながら不思議に思っていたからです。勘のいいひと、ちゃんと深く読むひと、推理するひとだったらきっとわかるであろうストーリー上のキーとなるものごとやできごとを、気になりながらもサラッと読んでしまう私は、物語を読みながらおそらく作者さんの思ったとおりにびっくりする、ある意味よい読者さんだと、自分では思うことにします。
この漫画で好きなところはいっぱいありますが、決してイケメンではないウルサイ兄貴が、実はとってもカッコイイところもとても好きです。両親が留守の中で妹を心配しながらも自分は恋人に寄り添うと決意し、妹が好きな男の子に昔のことを侘びてそしてきっちり託すのがかっこよかったし、恋人の妹を殺したのが自分の友人だと気づいて策を弄さずにハッキリ聞くのもカッコよかったです。実際はそれで捕まって妹をおびき出すエサになっているので、情けないっちゃあ情けないのですが。でも、まどかを託された泪がまどかをしっかり守ったので、終わりよければ全てよしって感じです。
泪と父の関係が拗れているのも丁寧に描写されていたし、まどかが泪を好きな背景も、東雲が何を思って刑事をしているかも、東雲の後輩がどう思って東雲と一緒に働いているかも、泪が母との関係を大切に思っていることも、ちゃんと説明されていました。
で、私は2つ目のミイラ様のバケモノの正体はてっきり水戸かと思ったのですが。最終回で、唇のバケモノもミイラのバケモノも両方瞬の生霊だったことがわかります。唇は瞬の父、ミイラは母の、多分分身なのでした。両親と幸せな関係を築けなかった瞬のなかで、両親がそんな姿になっていたのはやはり哀れです。瞬は自分が殺した女性たちの霊による責苦のあげくこの世を去り、生前の姿に戻った両親の霊と一緒に、子供の頃の姿に戻ってあの世に行ったイメージですが、悪人の瞬がそんな幸せな最期を迎えていいのでしょうか?私は、殺された女の子たちが成仏したのなら、瞬が罰から開放されて無垢な子供に戻ってもよいと思ってしまいます。でも、瞬の残酷さを生んだのは、生い立ちの過酷さではなく元の性格なんじゃないかとも思ってしまうので…微妙ですね。難しいです。
さて、最大のポイントです。作者さんはタイトルを何故、死者の行進ではなく生者の行進にしたのでしょう?それが、読者に問われる大きなクエスチョンだと思います。
美弥たちが自分を殺した瞬の下に行く姿を泪が目撃するのを描いたシーンでは「死者の行進」と書かれていました。このシーンがクライマックスであることは間違いないと思います。このシーンで私が感じたのは前述の通り、恐ろしさではなく、大きな感情のうねり。私の気持ち的には、死者であっても生者であっても、強い感情の動きは同じで、人為的な小手先で変わるものではなく、水が上から下に流れるが如く、ことわりに従って、その感情が善であれ悪であれ、感情の大きさによって流れの大きさや方向が決まる、そこには生者も死者もいない、ただあるのは人間の感情である、ということを示し、生きていて明日も生きる泪、まどか、浩二、省吾、東雲、死に行こうとしている瞬、死んでしまった美弥たち全員を含めて、みんな否応なしに前に進んでいる、ということを現すタイトルだとうけとめました。けど、みつちよ丸さんは全然違う意図で描いたかもしれない。あと、私は読みが浅いので、くり返し読むと私の中でもまた違った解がでてくるかもしれません。他の読者さんの解釈もしりたいところです。
最後にもうひとつだけ疑問。何故、高岡家の長男は浩一じゃなくて浩二なんだろう?実は浩二とまどかには幼少期になくなった兄がいるとか…じゃないよね?