『裁判長!ぼくの弟懲役4年でどうすか』は著者 松橋犬輔さん、原作 北尾トロさんの作品です。『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』原作 北尾トロさん、画 松橋犬輔さんの松橋さんが、弟さんが逮捕されて裁判を受けた実話をベースに描かれたものです。
2009年9月、お母さんから職場の犬輔さんに電話があります。弟さんが逮捕されたというのです。犬輔さんは愕然とします。
ここから先はネタバレなのでご注意下さい。
[著]松橋犬輔 [原作]北尾トロ
逮捕されてから判決が出るまでの9カ月が描かれています。弟さんの罪は、未成年の少女たち100人を売春クラブに紹介して仲介料をとっていたというもの。犬輔さんと上の弟さんには想像もつかない犯罪です。逮捕された雅也さんは仲介料は目的ではなく、ケータイひとつで女の子たちを動員できるおもしろさにゲーム感覚で仲介をしていました。
3人兄弟の中で、雅也さんだけが大学をちゃんと卒業してサラリーマンをして結婚もしていたため、女手ひとつで兄弟を育てあげた母ちゃんにとっては一番の自慢の息子でした。母ちゃんのショックは凄まじく、裁判にもとても行ける状態ではありませんでした。
犬輔さんは拘置所の雅也さんと話しますが、雅也さんの罪の意識の薄さに、まるで宇宙人と話しているようだったといいます。
裁判官は非常に厳しく、情状酌量を得るために無理に法廷に出た母ちゃんに、検察官よりも厳しい言葉を浴びせます。犬輔さんは生きた心地もしません。が、裁判官は途中でかわります。人事異動の関係で、それもめずらしくないとのこと。しかし、裁判傍聴に慣れた犬輔さんでも、自分の身内の裁判では心労が多く、今まで描いてきた裁判と自分が関わる裁判はまったく違うと実感します。
最終的に、執行猶予つきの判決がおります。変わった裁判長が優しかったせいか、犬輔さんは去り際の裁判長の視線に「弟さんを頼みますよ」というメッセージを感じます。即時釈放され、のほほんとしている雅也さんに、犬輔さんは怒り「母ちゃんだけは2度と泣かせるな」と告げます。まったく反省の色のない雅也さんにもその言葉だけは沁みたようです。物語は3人の兄弟を母ちゃんが家で迎えるところで終わります。
後日談として、雅也さんは既に就職していること、自分についての漫画を読んでもあっけらかんとしていること、逆に「雅也はいい子です。そんないい子でも犯罪に関わってしまうことがあります」的な漫画を期待していた母ちゃんが、犬輔さんと口をきいてくれなくなったこと、編集さんがそれを聞いて「この漫画には犬輔さんの家族愛が溢れているから、大丈夫、いつかお母さんにも伝わります」と言ったことが記されています。
『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』の存在は知っていましたが、読んだことはありませんでした。この本はたまたま見つけて、裁判傍聴の漫画を描いてきてご自分でも傍聴でいろんな人間ドラマを見てこられたある意味裁判に慣れた方でも、ご自分の身内では全然勝手が違った、という導入に興味を持って読みました。
すごいと思ったのは、犬輔さんはものすごくショックを受けているのに、この漫画が単なるレポートではなく、ちゃんと作品として昇華されているということです。
犬輔さんは傍聴するにあたって、ご自分だけでは冷静でいられない、と、フリーライターの岡本まーこさんに一緒に傍聴を頼んでいて、渦中にあっても作品にするための準備をしていて、そのあたりはショックの中でもプロの漫画家としての冷静な視点を持っています。が、とにかく身内に犯罪者が出たことへの理由なしのショック、母ちゃんへの思い、雅也さんの気持ちがわからないと呆然とする気持ち、犯罪者家族になってしまったことで受ける嫌がらせの辛さなどが、日記や釈明になってしまわず、きちんと作品になっているのです。プロの漫画家さんとしては本来は当然のことかもしれませんが、簡単にできることではないと思いました。
この作品を読んで、初めて『裁判長!ここは…』のほうも読んだのですが、犬輔さんは、ダメな男を描写するのがとても上手な方だという印象を受けました。この作品のなかで、雅也さんの宇宙人っぷりはとてもよく描かれていると思ったのですが、元々、描写の巧みな方だということがわかって、前作と比べるのもおもしろかったです。作品のなかで、弟の気持ちがまったくわからないと描いているにもかかわらず、漫画を読む方は、雅也さんが「ケータイひとつで大きいことをしている気がしておもしろかった。そんなに悪いことをしているつもりはなかった」というのもリアルに感じられて、なるほどそういう考えで、奥さんのいる身でありながら平気で売春なんかに手を染めたのか、と思えました。
仕事のためという一面もありながらも毎回の裁判をしっかり傍聴して弟の姿を見届け、弟の罰金を肩代わりするなど、なんだかんだ言いながらも成人している弟のために奔走する長男を、「本当はいいこです」と描かかなかったと、許せない母ちゃん。「この機会にしっかり更生して欲しい」と願う、結局は弟思いだし、しっかり仕事もしている長男より犯罪者である三男がかわいい母ちゃん、という気持ちも、しっかり描かれていると思います。
覇気のない弁護士に対する憤りや不信感も、家族としては本当はぶちまけたかったに違いないと思うのですが、それを描いてしまうとこの作品のメッセージがぶれるからバッサリ切り落とした、というところにも、漫画家さんとしての冷静な判断を感じました。
普段の傍聴と違うのは、被告人のウソが手にとるようにわかってしまうというエピソードも面白かったです。これも、「うそだ、お前反省なんかしてないだろう」と、突き放した表現をしていながら、小さい頃から弟の表情やそこに隠れている本心をつぶさに見てきた家族の歴史を感じます。
やっぱり、最後に編集さんがおっしゃっていたとおり、この作品からは、犬輔さんの、ご家族全員に対する深い愛情を感じます。裁判傍聴実録という形での、家族愛の物語でした。