『靴理人』(シューリニン)は画 尾々根正さん、原作 大鳥居明楽さんの作品です。天才シューフィッターの翔良が靴を見ることで持ち主の性格や人生の転機を見抜き、適切な修理を施すことで持ち主の人生までをも変えるお話です。
翔良は作家志望。1日1人限定で10円で靴を修理するのもネタ集めのためです。
ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。
翔良は修理に持ち込まれた靴の状態を見て、体のバランスが乱れ、そのためにイライラして夫や娘に当たり散らしてしまう主婦の悩みを見抜き、カスタマイズすることで姿勢を正させ、新婚の時の気持ちを思い出させたりします。
1話完結で物語は進みます。翔良は、バー、マリンスノーの看板娘、雪ちゃんに惚れていますが、恋心をうちあけるどころかデートにも誘い出せず、恋は進展しそうにありません。そんな雪ちゃんの歩き方のコンプレックスも見抜いて的確なアドバイスをするのはシューフィッターならではです。
一番印象的だったお話はミュールの修理のお話です。ミュールがきついから調整して、というお客に対応した翔良。ところが数日後、そのミュールを履いている別の女性をみかけます。その女性が「借り物だけどぶかぶかだから」と翔良の元を訪れます。靴の貸し借りはおすすめできないと言いつつ滑り止めを敷いて応対する翔良。さらに数日後、本来の持ち主が「しみがついたから」と修理を依頼してきます。翔良がみるとミュールには持ち主の履き癖のほかに別の女性の履き癖がついています。そのことを指摘すると持ち主は錯乱してしまいます。どうやら、持ち主の彼氏を借り手が誘惑した模様。本来地味だった借り手は、持ち主そっくりの派手なサマードレスと持ち主のミュールで彼氏を誘惑し、うまくいったところでミュールを持ち主に返したようです。翔良が他人の履き癖を指摘したときに持ち主の目に映っていたのは、汚れのところから流れ出る大量の血。持ち主と借り手の間に一体何が起こったのか。借り手の女性はどこに行ったのか。全部を見ていたのはミュールだけです…
このお話は、靴のウンチクを期待して借りました。そのとおり、靴紐の結び方がでてきたり、靴のシミの落とし方、靴のタイプの説明などがでてきて、楽しかったです。靴の製法の話もちょっとだけ紹介されていて、それもとても楽しく読みました。
ちょっと想像と違っていたのは、思ったよりも、人間ドラマの方に重きがおかれていたことです。たとえば、最終話は、子供の頃に翔良と父を捨てた母がでてきます。母の今の靴を見て、金を貰いにきたことを悟った翔良は、店を畳んで権利書を母に差し出します。このとき、靴をスキャンすることで翔良は母の本心を見抜くのですが、靴の痛み方で持ち主の生活や思いを当てることができるプロセスが、とってもおもしろくはあるものの、誰でもが「なるほど、靴がそのようになる履き方をしているのなら持ち主はこういう生活をしているはずだ」という有無を言わせない説得力にはちょっと欠けてるかな、と思うところが若干あるのです。
ここら辺の説得力はお話によって違います。くつの踵を踏み潰してつま先をトントンとして靴を履き、履き潰すことが営業の勲章と思っている人に、名刺が靴べら代わりになることを教える話では、靴の状態から仕事への姿勢や周囲とのコミュニケーションの状況を見抜き、靴べらの、スムーズに靴へと足を滑らせる機能は靴を大切にするための方法のひとつでもあり、スムーズで円滑であるということは人間関係においても大切なことである、と示されていて、靴の状態を見ることはお話の中でとっても大切なことでした。
でも、お母さんの靴の、両足の親指、首の反射区ががちがちだったから、お母さんは借金で首がまわらない、という読みは、ちょっと強引に感じました。そのあたりの塩梅はすごく難しいところで、細かく丁寧に説明しすぎるとお話のバランスが悪くなるので、やっぱりこれでいいのかもしれません。
そんな天才シューフィッターの翔良ですが、母のアドバイスで小説を三人称から一人称に変えたことをきっかけに、作家としてブレイクします。母のために店を売った翔良ですが、作家の夢が叶っても、シューフィッターとしての活動はやめません。隣町のガード下でしっかり靴修理の仕事をしています。
靴から人の人生を読んでしまう翔良なので、シューフィッターのお仕事は作家としてのユニークなネタ探しに欠かせないものなのでしょう。
後味もよくて、職人の仕事への愛も感じる気持ちのいい作品でしたが、欲を言えば、靴のうんちくをもっと知りたかったです。男性の靴の話が多かったので、女性もの、それも流行り廃りがある中で、どうやって自分の足と合う靴と出合い、どうやって手入れしていったらよいのか、読んでみたいものでした。