臨終の要塞

『臨終の要塞』は吉田薫さんの作品です。特別老人養護ホームで働く実松は、実は担当する老人を虐待しています。そんな彼がある日、郊外の富裕層向け老人ホーム羽部園の実務研修に誘われます。

現地に行くと、園長の羽部八郎が迎えてくれます。

ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。

実松は研修用器具の「ウラシマ」を装着されます。自分でははずせないこの器具は、装着すると視力聴力その他体感を85歳にします。実松は接ぎ木棟に収監され、老人に介護されます。接ぎ木棟には若者ばかりがいて、老若の立場が逆転しているのです。幼い頃監禁され虐待されていた記憶を刺激された実松は施設からの脱走を試み、シャッターに首を挟まれて絶命します。

ミノルはばあちゃんと一緒に暮らしています。ばあちゃんの介護が以前よりも大変になってきたので、演劇をやめることにします。最後に仲間とふたりで訪れたのは羽部園です。仲間はここで窃盗を働き、以前から老人ホームで窃盗していた、ミノルも一緒に窃盗すれば演劇を続けられる、と唆します。ミノルは「人は年をとるほど、モノに込めた思いは強くなる、それを奪うことはできない」とキッパリ断り、盗品を返そうとします。

そこに現れた羽部園長は、ふたりにウラシマを装着します。仲間は階段から落ちて絶命します。ミノルは接ぎ木棟に収監されることになります。仲間の遺体は切り刻まれ、年寄に「接ぎ木」されます。羽部園長は天才的な外科技術を持って接ぎ木棟の若者の体を老人に移植していたのでした。

ミノルは老人を大切にする気持ちを見込まれてスタッフとして働かされます。疑似85歳のミノルには大労働です。その中で知り合った芝原という老人と親しくなったミノルは、ふたりで脱走を試みます。気づいていながら見てみぬふりをする羽部園長をよそにミノルと芝原は脱走に成功しますが、外に出た瞬間、芝原は車に轢かれて命を落とします。20代の反射神経で判断した安全性は85歳には通用しなかったのです。ミノルは公衆電話で助けを求めますが、相手の声は小さく早口で聞き取れません。羽部園長は、85歳では日常生活も大変なことをミノルに思い知らせるために敢えて脱走させたのでした。

若く見える羽部八郎は、実は誰よりも年寄です。接ぎ木し、脳移植まで自分の手で行っていたのでした。脳細胞だけなら寿命は200歳まであるというのです。羽部の次の目標は妻を蘇らせること。移植する体をやっと見つけたと誇る羽部から、ミノルは妻の脳を奪い取り破壊します。

怒った羽部は、ばあちゃんをこの施設に入園させます。ミノルに、大切な人を失う辛さを思い知らせたいのです。ばあちゃんを殺した者ひとりのウラシマを解除する、と宣言してミノルたちを追い詰めた羽部は、ミノルの芝居に騙されます。ミノルは若者たちに、ばあちゃんを殺せば助かるのはひとりだが、羽部を倒せば全員助かる、と言い聞かせ、ばあちゃんとミノルを襲う武器を羽部に向けさせたのでした。

すると羽部は施設を爆破し始めます。全員で心中しようというのです。みんな絶望しますが、そこに以前ミノルが担当していた棟の老人たちが割って入り、羽部を殺します。彼らは、自分たちを道連れに無理心中しようとした羽部ではなく、誠意あるミノルを助けることを選んだのです。

しかし、若者たちのひとりがパニックになってばあちゃんを殺します。愕然とするミノルでしたが、瞬時に冷静さを取り戻してみんなを落ち着かせ、老人対若者の無駄な殺し合いに発展するのを抑えます。全員のウラシマを解除したミノルはばあちゃんに別れを告げます。

ばあちゃんの遺骨の一部を砂時計にしたミノルは、ばあちゃんとじいちゃんの思い出の富士山に砂時計と共に上り、ばあちゃんと一緒にご来光を拝みます。

この作品は、上巻の表紙に惹かれて読みました。てっきり、祭壇の中心の遺影の男性の人生の話を振り返り、その理不尽な死を描くものだと思ったのです。ところが、冒頭では表紙とまったく関係なく若者が首を吊り、それを満面の笑顔で見る羽部園長の顔に、何事だろう、と関心をそそられました。

次にでてくるのは、実松の、介護している老人への胸の悪くなるような仕打ちです。立場の弱い老人を一方的に虐待するこんなつらい話が続くのか、と思っていると、実松は羽部園を紹介するためだけのあて馬であったことがわかります。物語の中心は、老人を虐待する若者に、相応の対応をする羽部園とその園長です。

そして、ついに物語の真打ちであるミノルの登場です。ばあちゃんはミノルをじいちゃんと誤認しており、富士山に一緒に登ってくれと駄々をこねます。最初にばあちゃんを姥捨山に捨てる夢を見ていたミノルは、実際には優しい青年で、ばあちゃんと一緒にいるために夢だった演劇をあきらめることにします。ここでちょっと心に引っかかるのは、演劇を辞めたミノルはどうやって生計をたてていこうとしているかです。ばあちゃんは頭はぼけていても歩き回ることはできます。ミノルはおそらく演劇を続けるためにバイト生活をしていたのだとおもいますが、バイト生活のまま、ばあちゃんの介護をして生きていくつもりだったのでしょうか?ミノルはヤングケアラーというには年をとっていそうですが、恐らく夢に向かって定職についていない若者がどうやって老人を抱えて介護をして生きていくのだろう、ということが、現実問題としてとても深刻に思えたので、気になってしまいました。

そんなミノルの仲間は、一人であちこちの老人ホームを回っている感心な若者と思いきや、窃盗犯です。それが理由で羽部八郎に目をつけられたのでしょう。ここでも私は余計なことを考えてしまいました。私も、合唱団で岩手の施設に何度か慰問に行ったことがあります。ある施設では参加者も歌を披露してくれて一緒に楽しんだ感がありましたが、老人ホームではスタッフは喜んでくれるものの、老人たちは反応が鈍く、楽しんでもらえているのか、私たちの自己満足にすぎないのかわからないのです。芝居で慰問する人たちもきっと同じ気持ちを持っていると思います。プロのミュージシャンと話した時は、そう感じる気持ちはよくわかるけど、それでも自分は慰問にはできるだけ行きたい、と答えてくれました。

この作品は、そんな身近ないろんなことをあれこれ考えさせてくれます。羽部八郎はどうやって不良介護人の情報を集めているんだろう、とか、疑似85歳とはいえ、自身も接ぎ木で擬似若者になっているだけの羽部が、老人たちの助けを得ているとはいえ、人を殺して接ぎ木するという過酷な仕事をこなせるだろうか、とか、気になるところはありますが、吉田さんは、お話、というか、登場人物のパッションで、それを可能に見せてくれていると思います。

ミノルは慰問に行き、老人役を見事に演じ、仲間のよこしまな誘いもキッパリと断ります。ミノルがキッパリ断ってくれる姿にはカタルシスを覚えます。もともと暴力や盗みが好きだという人もいるとはおもうのですが、介護という仕事を選んだり、演劇による慰問を考えたときには、実松やミノルの仲間も純粋な気持ちで社会貢献を考えていたのではないでしょうか。特に介護という仕事は看護師以上に大変な労働でしかも給与が十分ではないことは以前から叫ばれているので、虐待をするために介護士になる人なんていないと思うのです。どうしたきっかけでそうなってしまうのか、実際に虐待をしてしまった介護士さんを責めるのではなく本音を聞いてみたいですね…と、本筋と関係ないことを思ってしまいました。この漫画がいろんなことを考えさせてくれるのだと思います。

八郎の行動は、ある時点までは、道義にかられた老人の復讐に思えます。接ぎ木棟の収容人物たちはどうやら問題行動を起こした若者たちだと思えるからです。その若者たちの体を富裕層の老人に接ぎ木しているおかげで、実松が最初に思ったとおり、元気に歩き回っている老人が多いのです。でも、羽部は善意の人間ではありません。どうやら脳を移植しても甲斐のないボケ老人はこの施設にはいないように見えます。羽部が目指しているのはあくまでも、自分に都合の良い、自分に外見の似た若い男と、妻に似た若い女の頭部を見つけることだったのですから。芝原が事故死するのを想定しながらも見過ごすシーンから、読者が八郎に寄り添う気持ちは完全に消えます。

ばあちゃんの再登場は「やっとでてきた!」という感じでした。読者としても、ミノルが突然姿を消してしまってからのばあちゃんのことは気にかかっていました。突然「じいちゃん」がいなくなって身の回りの世話をしてくれる人がいなくなって、ばあちゃんはどんなに心細かったでしょう。そんなばあちゃんですが、自分を殺せばミノルが助かると提案されたときの反応は尊かったです。なのに、羽部が絶命したあとに無駄に命を落とすばあちゃん。とても悲しかったです。

人は、ミノルやばあちゃんのように気高い行動を、いつもとれるものでしょうか?ばあちゃんが殺された瞬間に、老人対若者の紛争を幻視し、我に返ってみんなを抑えたミノルはヒーローです。最悪の事態を避けてばあちゃんと共にご来光を拝んだミノルの前には、明るい世界が広がって欲しい、と願って、作品を読み終えました。

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