『横浜線ドッペルゲンガー』は玉木ヴァネッサ千尋さんの作品です。2003年、横浜線沿線で殺人が起きる「横浜線彫刻家連続殺人事件」が起き、主人公の剣崎マコトは冤罪で犯人とされます。
それから11年後、剣崎は冤罪を訴えたまままだ見ぬ真犯人を恨みながら処刑されます。
ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。
処刑された瞬間、剣崎は2003年に戻っています。一連の殺人が起こる前です。剣崎は真犯人をつきとめ復讐しようと決意します。頼れるのはたった一人。2003年の自分、マコトです。
苦労したものの、マコトの信頼を勝ち得た剣崎(未来から来た32歳の方を剣崎、2003年の21歳の方をマコトと呼びます。)は、これから殺されるはずの仲間たちにコンタクトします。以前、剣崎は彼らと合同展を開くことになっていたのですが、家事で合同展の会場が焼け、教授が亡くなったことへの責任を彼らから問われて大学を中退していました。前の人生で剣崎に嫌疑がかかったのも合同展での繋がりが疑われたことがきっかけでした。
実際は、教授の作品をゴースト作者として創作していた比与がすべての殺人の犯人でした。比与はよい作品を作るため、教授の鞄持ちである鷺沼に人を拉致させ、作品のテーマに合わせた殺し方をさせていたのです。比与は、教授の心を揺り動かす作品を作っていた剣崎マコトを犯人にしたてることを思いつきます。
剣崎が歴史に関わったことで物事は変わっていきますが、結局比与は殺人を果たし、教授の作品を作っていたのが比与であることに気づいて比与を慕っていた夏木が生き残ります。剣崎は比与を殺害しますが、夏木は「剣崎マコトが犯人だ」と嘘の証言をし、結局マコトは犯人として追われます。剣崎にもマコトにも何故夏木が嘘の証言をしたのかはわかりませんが、今回も剣崎マコトの容疑は晴れないと達観します。
剣崎は、マコトの代わりに出頭します。自分がタイムリープした意味は、マコトを自由に生かすことだと考えたたからです。前回は冤罪で剣崎を逮捕し、剣崎を犯人だと疑わなかった刑事は、今回は剣崎は犯人ではないはずだ、と直感して死刑囚になった剣崎のもとに足繁く通います。剣崎と刑事はどんな場合でも相容れない運命にあるようです。
前回は最後まで冤罪を訴えて暴れた剣崎ですが、今回はマコトを生かしたことに満足して処刑の場に臨みます。マコトは剣崎に与えられた命で、世界中の彫刻を見て回る旅にでています。
この作品を読むキッカケは表紙です。そしてページをタップして「俺は逮捕された。」という大きいフォントにやられてしまいました。最後まで冤罪を叫びつつ、でも気に入った看守との約束を守って死んでいった剣崎…が一転して2003年の世界に戻ったところからは、もうノンストップで作品世界に浸り切りました。
剣崎マコトが、一度見た人の骨格は忘れない、骨格を見れば誰だか必ずわかる、というエピソードはとても面白かったです。結局それが決め手となって、警察でもわからない真実、殺されたと思われていた比与が犯人だということに気づく下りは最高でした。
32歳の剣崎が、11年の恨みを募らせた分、21歳のマコトに竸べて人が悪くなっているのもいい感じでした。剣崎マコトが、いざというときには自分を頼りたい、自分だけが信頼できるパートナーだ、と思っている理由が、ちゃんと子供の頃のエピソードでわかるのもよかったです。
最初に殺される鬼怒川と会話し、自分が思っていた鬼怒川とはちょっと違って、歩み寄ろうと思えば歩み寄れたのではなかったか、と考えるシーンはとても好きです。11年分歳を重ねたことと、真犯人をこの手で殺す、という物騒な望みを抱いていることで、少し周囲を観察する余裕が心に生まれていたのかもしれません。それだけに、鬼怒川が結局拉致られてしまってからも「どうか生きて戻ってきて、マコトと心の触れ合いができますように」と祈ってしまいました。祈り虚しく鬼怒川は殺されてしまいますが、そんな思いで読んでいたので、アトリエでの宴会で、マコトが比与とも心を開きあうシーンでは感動しました。
そんな比与が(ストーリー上偽装で)殺されてしまい、マコトの「事件を未然に防ぐ」という希望が果たせなかったのは本当に残念でした。剣崎の目的は最初から「真犯人に復讐する」だったし、剣崎自身が「マコトと自分の目的は違う」と明言していたのですが、どうしても、誰も死なない明るい未来を見てしまいたくなりました。
鷺沼が、実は無戸籍の双生児だったり、実は比与が教授の作品を創作していたり、教授が亡くなったことで、教授、比与、鷺沼兄弟の間で上手く(?)回っていたサイクルが崩れてしまったことを鷺沼が憎んでいたり、比与が剣崎マコトに嫉妬していたり、というストーリーには息をのんで魅了されました。
夏木の裏切りは突然ではありましたが、人と違う道のりを辿って自分の作品を生み出す夏木が、教授の作品に惹かれ、その人柄に触れて作者ではないことを見抜き、本当の創作者が比与であることに気づき、死んだ比与を殺人者にしないために嘘の証言をする、というストーリーには説得力がありました。比与の芸術に魅入られた夏木にとっては比与が犯した罪が些細なことになってしまうのはおもしろかったです。さらに、そんな夏木のことを比与はなんとも思わず、亡き教授が心を奪われていた剣崎マコトの才能にただただ嫉妬しているのもよかったです。そんな剣崎マコトの作品は芸術作品ではなく流行商品だ、というレッテルがついているのも深くて、唸ってしまいます。
昔、萩尾望都さんが作品の中にローマ字で「作品が商品価値を求められているとき作品の芸術性はどうなるのか」というような意味のことを書き込んでいたことがあったと思いますが(うろ覚えでごめんなさい)、実際、この作品を含めて、漫画は芸術でありながらも商品でもあり、しかも単行本の価値は作品の芸術性で変わるのではなく、xx社の単行本シリーズ、というポジショニングで価格が決まることが多いと思います。漫画家さんにとっては、自分の作品は芸術であるながらも商品であるというのは常にモヤッとポイントなのではないでしょうか。
TVで取り上げられて評判になって売れた剣崎マコトの作品と、高名な教授の作品というレーベルをつけられて実際に殺人を犯して創作した比与の作品があって、心が惹きつけられるのはどちらなのか、ということが、比与が剣崎マコトに嫉妬して貶めようとしたきっかけであることがおもしろくて、玉木さんにとって作品を創造するということが何であるのかということも聞いてみたくなってしまいました。(私にとっては、漫画家さんの作品は芸術ではあるけれど、単行本や電子版という形で私にとって合理的な価格で購入できるから読んでいるものでもあります。あんまり高い電子書籍は買わないし、書籍だったら買う前にパラパラページをめくって考えるし…難しい問題です。)
剣崎は比与を殺しました。もうイノセンスは剣崎にはありません。だから、冤罪が含まれていようとも、人殺しをした報いとして、殺人犯としての自分の運命を受け入れる気持ちもあったのだろうと思います。自分の心の「復讐」という闇の部分は自分が引き受け、「誰も死なせたくない」という若い自分のピュアな気持ちを守ったことに感銘を受けました。比与に復讐することがよかったのか。夏木が裏切られなければどうなっていたのか。いろんなことを考えさせられながらも、剣崎の穏やかな最期の笑顔と、マコトが雪の欧州の(と思われる)街をしっかりと歩いていくラストは、後味のよいものでした。