『鬼灯の聲 昭和連続射殺事件』は稲垣みさおさんの作品です。昭和29年、網走番外地で8人きょうだいの6番目として5歳を迎えた森昭男。長女シズ子が弟妹の面倒をみており、母は子供たちに冷淡です。
シズ子は妊娠しますが、弟妹の面倒を見させたい母は強引に子供を堕ろさせます。
ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。
昭男はふたりの兄に言われて堕胎した子供を箱に入れて埋める手伝いをさせられますが、好奇心から箱を開けて中を見てしまいます。そのことは昭男にとってトラウマになります。
シズ子は子供をおろしたショックで精神に異常をきたします。母は次女と末のふたりだけを連れて家を出ます。残された4人は悲惨な生活を送ります。半年経ったところで行政に助けられ青森に行った母のところに送られます。しかし、そこで昭男を待っていたのは、学校でのいじめと母からのネグレクト、兄二人からの暴力でした。
昭男の唯一の希望は自分に似ているという父にいつか助けられることでしたが、父は列車で野垂れ死にます。鬱状態になった昭男でしたが、兄たちが成長して家を出ると、家には自分より非力な妹たちしかいないことに気づきます。昭男は母の気をひくため二人に暴力をふるいます。母は妹らを連れて逃げます。
昭男に同情した中学の教員は昭男をなんとか卒業させ、東京に送ります。東京で生まれ変わるのだと働きはじめた昭男は同僚の女性に誘惑されますが、女の身体をみるとシズ子の子を埋めたトラウマが蘇ります。女と寝れなかった昭男はそれを言いふらされていると決めつけ、職場から足が遠のきます。非行に走った昭男を長兄がひきとります。昭男は真面目に働きますが、長男に搾取されていることに気づくと絶望して外国船にこっそり乗り込みます。密航者として捉えられた昭男は鑑別所にいれられますが、今度は次兄に引き取られます。また真面目に働き、夜学にも行った昭男ですが、目をかけてくれた教師に委員長に指名されると、プレッシャーから教師の真意を疑うようになります。昭男は次兄に助けを求めようとしますが次兄はたまたま出張でいませんでした。
昭男は次兄にも裏切られたと思い込み、自暴自棄になります。たまたま入ったキャンプの米兵の家で拳銃を盗んだ昭男は、ホテルの警備員を射殺する事件を起こします。自分でもショックをうけた昭男は母を頼りますが、ここでも冷たくされ、完全に絶望し、射殺事件を繰り返します。ついに逮捕され、裁判で死刑が決まった昭男は荒れます。
しかし、看守の勧めで本を読むと、昭男は変わります。いままで生きてきてわからなかった「よく生きる」ことの解が、本に書かれていると気づいたのです。昭男は自分でも獄中で本を書きます。印税は受け取り拒否をしなかった遺族におくられました。昭男は、母もまた親に愛されずに育ったことを知ります。母も、昭男が愛を求めていたことを認めます。
平成9年、48歳の昭男は心穏やかに処刑をうけます。遺骨は故郷の網走に撒かれました。
私が少女の頃は、こういった社会的な問題をテーマにした作品はもっと描かれていたような気がします。今は「まんがグリム童話」シリーズで、偉人や、厳しい人生を送った人々の伝記に近い作品が描かれているように思いますが、「まんがグリム童話」では、意図的に視点が絞られて、元々は多面的な人の人生が意図的にシンプルに描かれているように思えるので(漫画家さんの意図ではなく、シリーズとしての意図のようです)、このような重たいストレートにまっこうから貧困やネグレクトに取り組んだ伝記もの(永山則夫をモデルにしたフィクション)を読んだのは久しぶりのように思います。(でも、まんがグリム童話のシリーズも好きです。)
読んだ理由は、稲垣みさおさんの作品だったからですが、稲垣さんの力強いタッチは、この作品によく似合っていて、戦後の極寒の網走の地での厳しい暮らしが描かれていました。一話64ページ、その後は各巻33-34ページの作品を、発行されるたびに購入して読んだのですが、毎回、昭男の悲惨な経験と、なんでもわるいほうに考えてしまうとともに、人と十分にコミュニケーションができずに一人で結論づけていろんなことをあきらめてしまう昭男の性格は、母にネグレクトされ、兄たちに暴力を振るわれ、妹たちにも優しくできなかった過去によって熟成されたものとも、持って生まれた性格とも考えられるあたりが、うまく表現されていたと思います。
家にいると長兄にリンチされ、次兄や妹たちは恐怖から助け舟を出せない中、家ではなく外で寝ていると意外にも親切にしてくれる人がいるので外で寝ることが常態化そたり、そこに、父が訪ねてきて100円をくれたり、その父が死んで送られてきた写真をみて母が毒づいていたり、昭男の少年時代は異常の連続です。重くて辛さしかないお話ですが、稲垣さんの絵が、それを読ませます。
昭男が犯した犯罪は、初回を除いて、詳しく描かれることはありません。殺された方にもそれぞれの人生があったはずで、その重みを感じて、昭男の罪の重さをかんじたいところではありましたが、そこを掘り下げていくとテーマがぶれていくので、おそらく敢えて、その細かい描写がなかったものと思います。
お話の最初から、いつも疲れていて、長女や次女のことを労働力としてしか考えず、その他の子どもたちのこともさして愛していなさそうな母でしたが、母自身も親に愛されずに育った子で、やるせない気持ちになります。昭男には一貫して冷たい態度でしたが、明瞭な意思疎通ができなくなったあとも、昭男の話題がでると反応があったという母。刑務所の中という、もう手が届かないところに行って初めて愛情をかけてなかったことが認められ、母に涙を流された昭男。愛されなかった子供と愛せなかった母。どちらも切ないです。
刑務所に入ってからもむやみやたらに暴れる昭男でしたが、本との出会いがそれを変えます。本にはどう生きるべきかがすべて書かれていると昭男は感じたからです。昭男がもっとはやくこれらの本に出会っていたら変わっていて、射殺事件を起こすこともなかったのでしょうか?私はそうは思いません。昭男は次兄に世話になっていたとき、本に触れるチャンスはあったからです。でも、毎日の生活や人とコミュニケーションをとらないというストレスの中で、本に書いてあることが頭に入ってこなかったのだと思います。正直、日々の生活に追われず、人とのコミュニケーションに悩むことの少ない刑務所の中という環境だったから、自分が無知であったことに気づけたのではないでしょうか。もちろん、いつ処刑があるかという恐怖に常にさらされているので、ストレスフリーなわけではなく、「シャバ」にいるよりはるかに強いストレスがあるわけですが。
そう考えると、特に青少年向けの更生施設のあり方に疑問を感じざるを得ません。よく拘置所内での激しいいじめの話など聞くので、いまの更生施設は入所者の更生を促すというよりは、「もうあそこには入りたくない」という思いでしか、更生できないんじゃないかと、感じてしまいます。施設の方は苦労されていると思うので、それこそちゃんと調査したこともない私が勝手な感想を言うのは害悪かもしれません…
4人の子供を極寒の地に残して失踪した昭男の母のケースは特殊かもしれませんが、近年でも貧困による問題は叫ばれていて、ネグレクトや虐待もしばしばニュースのヘッドラインに上がります。米軍キャンプへの侵入は、昭男の時代ほど容易ではないでしょうが、同様の事件が起きても不思議ではありません。今だと秋葉原の無差別殺人事件やその類似事件のようなケースになっているのかもしれません。
いろいろ考えさせられる作品でしたが、読ませてくれたのは稲垣さんのパッションだと思います。描いてくださったことに感謝です。