兎が二匹

『兎が二匹』は山うたさんの作品です。兎は獲物として数えるときは一羽二羽ですが、愛玩動物としては一匹二匹と数えるそうです。すずは398歳、咲朗は19歳です。379歳差の2人は、骨董屋の2階で同棲しています。

不老不死のすずは毎日咲朗に自殺を手伝わせますが、たとえクビを切り離してもクビは自然に癒着し、すずは死ねません。

ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。

飢饉の中、口減らしのために親に埋められたすずは生き返って村に帰り、バケモノ扱いされます。それから400年近くすずは生き、明治維新もヒロシマの原爆も自分の身体で体験します。

すずは長くつらい日々の中で骨董修復の技術を身に着けさせられ、最近はそれを生業に暮らしています。骨董屋は少女の頃からすずを知り、いつの間にかすずの年を追い越した葉子です。

咲朗は小学3年生のときに父に捨てられ、すずの元で暮らし始めました。優しくて喫茶店で店員をする咲朗は、葉子の店を継いですずに仕事をまわすことなど考えたりしますが、すずは約400年の間に辛い別れを繰り返してきたので、厭世感にあふれています。自分を愛する咲朗に、自分を毎日殺すことを強います。

ある日、すずは「死刑になれば国家が私を殺してくれるかも」と、冤罪を被ります。死刑は執行されますが結局すずは死ねません。

無罪放免となったすずが、咲朗の働いていた喫茶店を尋ねると、咲朗は海で投身自殺したと告げられます。

すずが不老不死であることに気づき、長年すずの監視をしていた間戸は、すずを襲い、性交すれば0.01%の確率で不老不死体質がうつるかも、と叫びます。間戸は性交には及びませんでしたが、すずは可能性に気づきます。咲朗は、不老不死になっていたかもしれない。

咲朗の真実は、海辺の崖ですずを偲んでいたら突風に飛ばされたものです。遺体はあがらず、直前に会話していた神父の証言から自殺と断定されたに過ぎません。

その日から、すずの日課は、自殺から、不老不死になって生き延びているかもしれない咲朗を探すことに変わります。

冒頭では咲朗が泣きながらすずのクビを締めています。そしてすずは死なず、がさつにも泣いている咲朗を怒鳴りつけます。ちょっとショッキングなオープニングです。そこで398歳というすずの年齢が明かされます。ギャグなのか真実なのか、一瞬とまどいますが、すぐにすずが不老不死であることがわかります。

咲朗の笑顔は優しく、画面からはハッピーなきもちが伝わってきます。そんな咲朗にまったくこだわらずに死刑の道を選ぶので、せつなくなります。そして、戻ってきたすずを待っていたのは咲朗の自殺の知らせ。物語の始まりのタイミングで咲朗が死んでしまうので、ただただ驚き、また、慟哭するすずの絵も迫力で、とてもつらい気持ちになりました。

それから話は過去に遡り、少年だった咲朗とすずが出会った顛末が語られます。子供の頃から、笑顔だった咲朗ですが、父にネグレクトされ、ついには再婚相手が咲朗を快く思っていないという理由で捨てられてしまったことが、とても悲しくて辛くなります。そして、それでも笑い顔を見せる咲朗に、本当の気持ちを言っていいんだよ、と諭すすずのまっすぐな気持ちに、咲朗だけでなく、読者も救われます。

2巻になると、話は太平洋戦争の末期に遡ります。すずは廣島にいて、花子と親しくなりますが、花子は原爆で上半身が黒焦げになってなくなってしまいます。この400年、こうやって誰かと親しくなっては失ってきたすずの体験のなかでも、原爆による友人との別れはことさらにつらいものだったでしょう。夏はつらい思い出ばかりある、と言うすずの気持ちが、だんだんにわかってきます。

そして、すずが、あんなにも死にたがっていたのは、もう誰かと死別したくない、という気持ちだったこともわかります。咲朗との毎日がどんなに楽しくても、すっかり復興した広島に一緒に訪れることができたとしても、結局は咲朗もすずをおいて年を取り、死んでしまうのです。すずが、それをどんなに怖れていたか、最初にはわからなかったすずの気持ちがひしひしと伝わってきます。それでもずっと先だと思っていた、もしかしたら他に新しく恋人をつくっているかも、とすら思っていた咲朗が、自分が死刑に臨んでいる間に自殺してしまったと聞いて、悔しくて悲しくて涙を流していた気持ちが、改めて伝わってきます。

また大切な人を失ってしまった。自分とかかわったせいで。

そう思って打ちのめされたすずに、新しい希望が灯ります。

不老不死が、密な接触で伝染するものであるならば、何度も自分と契った咲朗にもうつっていた可能性があります。さらに、読者は、すずも含めた登場人物たちが知らない情報を知っています。咲朗は自殺ではなく、過失による転落なのです。遺体が見つかっていない以上、咲朗が不老不死の身体を手に入れて生きているかもしれない、という希望が、すずにも読者にも湧き上がってきます。

海辺で咲朗の声が聞こえた、とおもったとき、すずだけでなく、読者も、すずが咲朗に会えるのではないかと期待します。でも会えません。あれほど死を願っていたすずの人生が変わったことに、読者は気づきます。咲朗に会えるかもしれない。生きているだけでなく、これから先の長い不老不死の人生を、優しく、笑うのが好きな咲朗と一緒に歩んでいけるのかもしれない…

それはもしかすると残酷な希望なのかもしれません。叶うことがないかもしれないのぞみを持つことは死を願うことよりもつらいかもしれません。それでもこのお話のラストには、生きる意味を見出したすずの希望が溢れているように私は感じました。

読んでよかった、と思える作品でした。

にほんブログ村 漫画ブログ 漫画感想へ


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です