『キクミミ〜耳から聞こえる、あなたの心〜』は川口まどかさんの作品です。4年前、夫の浩介に離婚を切り出された岩波未々。しかし浩介は離婚前に発病し、1年ほどで息をひきとります。
未々は子供の幸花と諒には、離婚話がでていたことを話してはいません。
ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。
ある日職場で倒れた未々は、起きると、左耳から他人が考えていることが入ってきていることに気づきます。
息子の諒はムスッとしながらも母の無事を喜んでいました。しかし姉娘の幸花は厳しい母に反発し、友人の愛梨にそそのかされてパパ活を始めています。未々はキクミミで愛梨が幸花を男たちに抱かせようとしていることを知ります。
決定的な傷を負う前に幸花の目を覚まさせるため、未々は、人の考えが聞こえるようになったことまで話しますが、幸花はますます反発します。結局、数人の男にレイプされかけ、助けに入った諒を半殺しにされたところで、幸花はやっと素直になって愛梨との縁を切ります。
子供たちとの関係がとりあえず落ち着いた未々は、次に職場の上司である課長の不倫と、仲の良い同僚の夫の浮気に振り回されます。2人の不倫相手は同一人物。夫婦仲を壊すのを生きがいにしている佐藤晶子です。佐藤はジムのインストラクターをしていて、未々が働く会社の男に端から手をつけています。未々の夫の不倫相手も佐藤でした。唯一落とせなかった相手だと思っていた佐藤は未々がジムに来たことで未々の夫の死を知ります。そこで佐藤は未々のすべてを壊すため、諒に近づきます。
諒の本心をキクミミで聞いた未々は佐藤の撃退に奔走します。佐藤は家庭を壊した後に結婚資金と称して男から金を巻き上げるのを常としていたため、最終的には警察に逮捕されます。同僚の家は崩壊寸前で踏みとどまります。同時進行で佐藤と不倫していた課長は、佐藤との不倫を知る未々と同僚を陥れてクビにしようとしていましたが、これもキクミミの力で阻止します。
次は係長の家庭の話です。係長の娘はひどいアトピーで、そのことをきっかけに係長の妻が新興宗教にはまっています。娘は教祖にわかりにくいように暴力を振るわれています。キクミミの力でそれを知った未々は、係長の娘の苦境を見てみぬふりをすることはできないと、教祖と戦ってその真の姿をさらします。
未々は家族といるときはキクミミとなった左耳だけ耳栓をしていますが、ふとしたはずみで幸花も諒の気持ちをきいてしまうこともあります。そしてふたりとも「学校に行きたくない」と思っていることがわかります。ショックを受けた未々でしたが、冷静に子どもたちと会話して、何故そう思うのか、本音をさぐります。
未々は、なぜキクミミになったか、いつか元通りになるのかはわからない、でもこれからも人の心の声が聞こえる耳と一緒に、家族3人で生きていこうと決心するのでした。
この話も、Renta!でたまたまオススメに上がってきて、試し読みをしてみなかったら読まなかった作品のうちのひとつです。
夫が離婚を望んでいた、でも離婚を果たす前に死病が発覚し、闘病虚しく亡くなってしまっている、という、妻としては耐え難い辛さの中、未々は毎日をすごしています。夫は本当はどうしたかったのか。死を看取るのが家族で本当によかったのか。夫はもう亡くなっているので、その答えは決してでません。そのことはいつも気にかかっていて、未々はよく夫の夢を見てしまいます。そんな中でキクミミを授かってしまったがどんなふうに生きていくのか興味がわいて、この漫画をよみました。
倒れた未々を心配し、「ママまで死んだらどうしようかと思った」と安心し、そばにいたがる諒の気持ちを聞いて、息子はちゃんと育っているじゃん、と安心したのも束の間、幸花がパパ活というとんでもないことに足を踏み入れていて、狡猾で性根の腐った愛梨が意図的に友人ごっこをしている状況に対して、未々がどうやって立ち向かっていくのか心配で、幸花が自分を取り戻すまでのいきさつは、一気に読んでしまいました。
私が大人なのでつい未々の気持ちに寄り添ってしまい、「幸花は夫を亡くしたお母さんのことを思いやりもしない冷たい娘」と思ってしまったのですが、考えてみたら、お父さんが病院に入って見る見るうちに衰弱してついには息絶えてしまうのを目の当たりにした幸花が、心細い気持ちになって、自分を支えることで精一杯のお母さんより、友達に頼ってしまうのは当然のことでした。
後になって「学校にいきたくない。フリースクールに行きたい」と言い出す幸花はやっぱり繊細で、ただでさえ生きづらいタイプの子なのに、パパが死んでしまって普通の状況ではなかったのだ、と、全部読み終えて改めえて思いました。
そんな中で「ママは人の気持ちが聞こえるの」なんて言われたら「何わけのわからないこと言ってるの!?ママなんて信じられない!」と思ってしまっても無理はありませんね。
この事件は、姉を大事に思う諒が頑張ったこともあって幸花の気持ちが変わってうまくゆくのですが、愛梨の悪意が恐ろしくて、身がすくむようになって読みました。諒の気持ちが素直なところが、読んでいて救いでした。
次の佐藤がでてくるお話は、佐藤の悪意溢れることばが、黒い砂のように溢れ出て未々の気持ちを飲み込もうとする描写にすごく迫力があって恐ろしかったです。佐藤は、自分の唯一男を落とせなかった(金を詐取できなかった)という黒歴史を挽回するという邪な気持ちで未々に対峙していて、愛梨と同じように悪意しかない人間だというのも、読んでいるときはおそろしくて、それ故におもしろかったのですが、何故佐藤がそこまで悪意だけの女になってしまったのかがほんのちょっとだけでも描かれていたら、もうちょっと深みがあったかもしれません。
でも、前述した、佐藤の悪意の言葉の氾濫の描かれ方と、それに対して諒がママである未々を全肯定する姿と、佐藤の悪意のドロドロから未々が諒を救い出す描写がとってもよかったので、作品としてはこれで十分すばらしいと思います。
係長は、冒頭、未々が会社で倒れるシーンから、彼がいい人であることは象徴的に描かれていると感じたので、妻と子供がいるのは意外でした。どこかで、未々の孤独を癒やしてくれる王子様なんじゃないかと思ってしまっていたのです。
でもそんなことはなくて、係長のケースは、未々が自分の利害のためではなく、純粋にひとりの子供を救い出すためにキクミミを使うお話でした。おせっかいといえばおせっかいですが、少女の虐待の話と思うと、おせっかいですむ問題ではありません。未々の真摯な姿に共感するお話でした。
このお話のラストは、カタルシスはあまりありません。象徴的に夢の中ででてきていた夫のポジションに対して、何らかの解決がもたらされているわけじゃないし、突然キクミミになった理由も明かされていないからです。
でも、このラスト、私は好きです。生きているのだから、解決しないことなんていっぱいいある。そのひとつひとつに拘るのではなく、手探りで、できることをして前に進んで行こう、という意志が見えるものだからです。
母子家庭だけど、しっかり働いて頑張っている未々。自分の将来にちゃんと向かっている子供たち。よいラストです。