もろびとこぞりて

『もろびとこぞりて』はウチヤマユージさんの作品です。キリスト教の洗礼名がガブリエルの亮介は学校でガブスケと呼ばれ、軽いイジメをうけています。ガブスケの隣りに一家が引っ越して来るところから物語は始まります。

家族構成は両親と娘。大島という表札を出します。

ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。

娘の真琴はガブスケのクラスに転入します。母は酒屋にパートに出ます。家族の会話はどこか距離があるものです。普通の家族ではなさそうです。

ガブスケは、公園でひとり食パンを一斤喰いする真琴をみかけます。真琴はキリスト教ではパンは神聖なものでこんな食べ方は不謹慎かな、と聞き、ガブスケはキリスト教のパンはイースト菌の入っていない煎餅みたいな形のもの、と答えます。真琴は食パンをこんな食べ方するのはちょっと「罪の味」と、嬉しそうに笑います。

ある日、男が街中に「殺人鬼大島佑希哉の家族は、街から出ていけ」というビラを貼り回ります。大島佑希哉は2年前に新宿で無差別殺人をし、電車に飛び込んで自殺した犯人です。

その日から真琴はいじめられます。兄はいない、と言っても誰も信じず、裸の写真を撮られたりウリを強要させられたりします。ガブスケは都度、真琴に寄り添い、キリスト教の考え方では司教様ですら罪人なのだと話したりしますが、ウリの噂が本当だったのかと問いただしたときには真琴が「だったらどうしてくれるのよ」と叫び、二人は動揺します。

母は学校に抗議しますが、担任教師は「そちらが転校するのはどうでしょう。来年は受験があって微妙な時期ですし」と、冷たく突き放します。

母は酒屋の主人から執拗なセクハラを受け、車の中で襲われます。

実は、母と真琴はこれらをすべて録音していました。頃合いとみなし、一家には一味が集合し、行動に移します。

真琴をイジメていた生徒の家には男が押し入り、ウリを強要していたことを認めさせ書面にサインさせます。その後、両親たちと先生が大島家に呼ばれます。真琴はガブスケの家に行き、親たちとの話し合いを中継して見せます。

親たちは、大島佑希哉の家族は世間が許さないのだから自分たちは悪くない、と主張します。大島家と中の男たちは、自分たちは大島郡佑希哉の家族だとは言っていないし、犯罪者の家族を成敗できるのであれば、売春斡旋した彼らの子どもたちや見てみぬふりをしていた先生の家族も「世間が許しません」ね、と脅迫します。

論理に屈してどうすればよいかと訪ねる彼らに、男たちが示談金を提案します。しかも、一時金をその場でそこにいる高利貸から借りて払えといいます。

真琴はガブスケに、ウリの相手は自分たちの仲間だったと伝えます。そう、大島家の3人は誘蛾灯。大島佑希哉の家族を装って犯罪を誘発し、それを脅迫して金を窃取するビジネスをしていたのです。真琴は戸籍を交換しただけ、と言い、ガブスケが自分を「救いたい」なら今度会ったときにお願い、と笑います。

大島家は街を去ります。あの酒屋もクローズしました。

父役の男性は亀田。人気男性アイドルを頃した犯人の弁護をし、減刑を勝ち取った後、何者かに家を焼かれて妻子を失っています。母役は川本。高給クラブの客とのアフターで急性アルコール中毒になった相手を放置して死に至らしめています。彼女の弁護を担当したのは亀田。執行猶予つきの判決をうけた彼女は嫌がらせをうけ、地元にいられなくなりました。娘役は、男に監禁され虐待されていたところを6歳のときに発見された少女。男は逮捕されたあと拘置所で自殺しています。

10年後、あの公園で食パンを頬張るガブスケに、女性が声をかけます。随分横に成長したね、という言葉に、ガブスケは涙をこぼしながら「君が罪の味なんかおしえるからだよ」と笑い、女性も笑います。

表紙に、「殺人鬼の家族は」的な落書きがいっぱいにされた家が描かれているので、犯罪者家族に対するイジメの話であると想像がつきます。つらいお話になると想像されるので、読むには覚悟が必要でした。

冒頭ではもろびとこぞりての歌詞が綴られ、その背景で、大島佑希哉の事件が紹介されます。ガブスケが賛美歌を歌っている姿も描かれます。

そしてお話が動く始めてすぐ、お父さん役の男性の、火事へのフラッシュバックがあります。表紙と結びつけて、犯人の家族だから家を焼かれてしまった過去があるのだろう、と想像するのですが、どうやらお母さんも娘もそのフラッシュバックを共有していないことから「あれ?」とは思います。

でも、クリスチャンであるガブスケがでてきて、娘とクラスメイトになるので、「やっぱり犯罪者家族と、キリスト教信者の心の触れ合いの物語かな?」と思ってしまいます。

あれ?と思うシーンは他にもでてきます。お母さんはパートを探すとき、わざわざスノッブな雑誌に夢中になっている男性店主がひとりでいる店を覗き込んで、そこで意味深に微笑むのです。最後まで読めば、ここで彼女は、大島佑希哉の母として家計に貢献するために人のいい雇用主を探していたのではなく、ちょっと下品なところがあって「世間」という強者の立場から、犯罪者家族という弱者である自分に手を出してきそうな、あとで強請れるカモを見つけて満足していたことがわかります。役者さんでいえば演技力、これはマンガなので画力が光ります。

さらに、「母」からすーちゃんと呼ばれる娘は、学校で録音した音源を毎日、「父」である「先生」にわたしているようなのです。この時点では、私は「常時いじめを経験しているから自衛のためか?」と思いましたが、後で母が学校に怒鳴り込むところで「なんで音源をつかわないの?」と思いました。おだやかな両親と一緒にいるのに、真琴の体中に虐待後があるのも謎でした。

フラッシュバックのシーンは. 母にも真琴にもでてきます。それもとても不思議でした。3人のフラッシュバックに整合性がないからです。父母二人の関係性をちょっと疑う気持ちはありましたが、母のフラッシュバックのあとは、母が父の背中に寄り添って心を落ち着かせるシーンがあって、なんとなく再婚的なイメージがわいてしまいました。

でも、まさか誘蛾灯ビジネスのお話だとは夢にも思いませんでした。というか、誘蛾灯ビジネスという言葉を、この作品への感想で初めて知りました。殺人犯の家族は偏見を持たれ、孤立するということを逆手にとって、殺人犯と同じ家族構成の家庭をつくり、犯罪レベルの嫌がらせを誘い込み、それをついて示談に持ち込み「その場で高利貸しから借金させる」。

加害者家族の苦悩の話かと思ったら、人の悪意を炙り出して陥れる犯罪のお話だったので、加害者家族の話を読む以上に複雑な気持ちになりました。

私は重大犯罪者の家族に会ったことがないので、本当にこんな雰囲気になるのかどうかわかりません。もしかしたら「重犯罪をおかしてもよいという偏った考えは、家族の中で培われたものにちがいない。であれば、そのような価値観を持っている家族とは関わり合いにならないほうがよい」と、遠巻きにするかもしれません。

家に落書きしたりはするでしょうか?私はいままでのところ、ネットの炎上事件や現実の事件についての率直で短絡的な感想をネットでシェアしたりしないように心がけていますが、「えー、ひどーい」と思うことを家族や友人に語ったりすることはあります。だとすれば、落書きをする行為は私がするかもしれない範囲にある、と、やっぱり思ってしまいます。

誘蛾灯ビジネスに、自分がひっかからないという自信は、残念ですが持てそうにありません。そういう意味で私にはおそろしい作品でした。自動車事故も含めると、いつ自分が加害者になるか、加害者家族になるか、加害者家族に過剰ないじめをする加害者になってしまうか、どんな立場にもなり得ることをかんがえると、このお話は他人事ではありません。

そんな深刻さの一方で、敬虔なクリスチャンであるガブスケとその母は、清涼剤のようでした。ガブスケは、自分もイジメをうけています。ガブスケ本人の振る舞いによっていじめはマイルド化されていますが、女子も男子もガブスケを軽んじます。ガブスケはそれに葛藤しながらも、いじけることなく、また、真琴と近づいたらイジメられるから近づかないというような打算なしに、真琴に、力になれることがあるなら、と声をかけます。

ここではキリスト教に関連した会話がかわされますが、かといってあまり宗教的な印象はありません。ガブスケがキリスト教徒だから、というよりは、ガブスケが素直で偏見のない少年だから、というように見えます。厳しい状況の中にいる真琴にとってのオアシスのように感じられて、読者としてもほっとします。なので、ウリの話で真琴が追い詰められるところはショックですが、それも実際は演技だったという…

大島家にいた3人が追い詰められていたわけではなかったという意味ではほっとしますが、人間の善意についてのお話としては複雑な気持ちを処理しきれません。

救いなのは、10年後のガブスケに声をかける真琴ことすみれが、幸せそうな笑顔を見せてくれることです。

少女のときに監禁、虐待を受け、学生時代は大島佑希哉の疑似家族として大人たちとつるみ、わざと同級生からイジメを呼び込むような行動をとってきたすみれは、どんな大人になっているのでしょうか。「今度会ったら救ってよ」と言っていたように、彼女の真実を知っているガブスケと一緒に幸せになって欲しいものです。

淡々とした絵柄が非常に魅力な作品でした。

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