『クモノイト〜蟲の怨返し〜』は荒巻美由希さんの作品です。小学校のクラスの中でみんなが蜘蛛が気持ち悪いからコロせと騒ぐ中、忠義は「お前、キレイなのにな」とつぶやいてそっと外に放ちます。
そんな忠義も今や立派な浪人生。親元を離れ安アパートで暮らしています。
ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。
ある日、かわいい女子が部屋に来ます。見覚えのない女子でしたが、彼女は昔のおん返しをしたいといいます。準備の間押し入れで待っててと言われて忠義はあらぬ妄想をしますが、声をかけられて押し入れから出るとそこには人間大の大ムカデがいます。忠義は思い出します。そういえば子供の頃、ムカデをハサミで半分に切ったことがある。これはあのときのムカデ?ほうほうの体で逃げ出した忠義。翌朝部屋に戻るともう大ムカデはいませんでした。
それからは、バッタ、カマキリ、スズムシ、トンボ、紙魚、ヤスデ、アブ、カメムシ…次々と蟲がおん返しにやってきます。本物の昔のクラスメイトが「ずっと好きだったの…!」と告白してくれても、蟲だと思いこんで「許してください」と謝ってしまう始末です。
たまたま知り合った彫り物師のキヨさんは、全身にダンゴムシの入れ墨を施す男性。忠義に同情してか蟲みたさか、忠義に協力して、「蟲の怨返し」(怨みを返しに来る)について調べ、書籍を発見したり、郷土研究者のところに同行してくれたりします。
そんな中、忠義に蜘蛛が「恩返し」に来ます。小学生のとき校庭にそっと放したあの蜘蛛です。蜘蛛の絡生(まとい)は忠義と添い遂げたいといい、忠義の部屋に住み着きます。
でもまだ怨返しも続きます。忠義が、蛹から成虫に孵化する途中で誤ってコロしてしまったカブトムシが現れ、忠義を追い詰めます。絡衣はその姿も声も聞き、キヨさんはただ忠義が持ち上げられ木に押し付けられている姿を見るだけですが、初めて被害を目の当たりにします。キヨさんは、忠義がカブトムシに心から謝罪した後、カブトムシが少年の姿になり、喜び、成仏したシーンを目撃します。
次に訪ねてきたのはアリジゴクの鈴袮です。鈴袮は、かつて村人にイビられてウスバカゲロウになってしまったお与袮の話をし、お与袮のかんざしを見つけてくれるならもう怨返しはあきらめる、と忠義らに宣言します。
忠義はかんざしをみつけますが、その場所は、忠義を怨む蟲たちが集って自分の怨返しの順番を待つ場所につながっていました。忠義はお与袮に会います。この場所をつくって蟲たちに怨みをはらさせようと助けていたのはお与袮だったのです。忠義を殺そうとするお与袮のもとに、本来の蜘蛛の姿になった絡衣がかけつけ、忠義は本当は優しい人だから、と主張します。かんざしを差し出されたお与袮は泣きます。人間だったときのことを思い出したくないからです。蟲が殺されるときに小さな悲鳴をあげる、その声が聞こえるのか、と泣きじゃくるお与袮に、忠義は心からの謝罪をします。するとお与袮の怒りは解けます。
絡衣はもとの世界に忠義を連れ帰ります。そして、もう怨返しも恩返しもおわったからと、消えていきます。
その後、怨返しの順番がくるのを待っていた怪蟲の群れと遭遇して歓喜していたものの、怪蟲たちは消えてしまったと興奮しているキヨさんと、忠義はおちあいます。忠義とキヨさんは地元の老人にすべてを打ち明け、お与袮の魂を供養して欲しいと頼みます。
1年後。供養に参加する忠義の眼の前には青空が広がっています。
この作品を読んだきっかけは、サスペンス・ホラーものであることと表紙の鮮やかな蜘蛛、そしてお試しで読んだ、クラスの授業でカンダタの話を聞きながら、実際に蜘蛛を助ける少年の行動に惹かれたことでした。
荒巻さんは、虫が好きで、虫を描きたくてこの作品をかんがえたといいます。実際、少年の忠義が「お前、綺麗なのにな」というのが当然に思えます。蜘蛛の姿が綺麗に描かれているからです。
私は虫を好きではない、というよりキライなほうですが、写真や絵を見るのはいやではないです。蜘蛛の写真は好きですし、描くのが楽しい気持ちはわかります。荒巻さんが楽しんで描いていらっしゃる気持ちが伝わってきて、とてもよかったです。
でも、蜘蛛にも優しい少年だった忠義のはずなのに、怨返しに来るのはどうして?と思います。蟲たちが来るたびに、忠義がしてきた蟲への過去の非道な行いが明らかにありますが、正直、特別に残虐なことをしたわけではないように思います。いえ、殺される虫の立場にしたらとってもひどいことはしてるのですけどね。たとえば最初の、ムカデをハサミで半分に切る行為。ひどいのですが、子供の好奇心でそうしてしまう気持ちは理解できます。
カブトムシの幼生を飼って、生きようとしている幼生を、その成長が遅いといういらだちと、そこから生まれる不注意でコロしてしまったのも、子供の頃だったら容易におかしてしまいそうなミスです。忠義も、カブトムシを死なせてしまったことは当時もひどく悔いたことでしょう。でも、人間にとってはほんのささいなミスでも、虫にとっては、それで一生が終わってしまう致命的な行動です。怨返しにきた幼生が「お兄ちゃん、僕頑張ったのに。お兄ちゃんは僕がキライだったんだ」と言う気持ちも当然です。
そんなわけで、忠義が怨まれるのはわかりますが、特別多くの蟲を残虐にコロしてきたわけでもなさそうな忠義だけが何故怨返しにあうのかはわかりませんでした。でも、次々にかわいい女の子が訪ねてくるのも、中には本当に忠義に恋して来てくれていた人間のかわいい女の子がいたりしたのもおもしろかったです。
お話は、キヨさんに出会って、怨返しについて調べるようになったりします。単純な怨返しの繰り返しになるようなこともなくお話がどんどん進んでいったのも、この作品の魅力的な部分です。キヨさんの入れ墨をダンゴムシにすることで、絵面に過度の違和感なく、でもキヨさんがいっちゃってる人であることが表現できているのも秀逸です。全身がどうなっているのか、見てみたかったです。触手はどんな風に表現されているのでしょうね?
蜘蛛の絡衣もかわいかったです。お与袮のテリトリーに入ってからは少女ではなく本来の蜘蛛の姿になるのもよかったです。荒巻さんはきっと、蜘蛛の姿のほうを描きたかったのでしょうね。さよならも、少女の姿ではなく蜘蛛の姿で行われるのがよかったです。蜘蛛の姿、特に目の配置は魅力的だと私も思います。蜘蛛を美女にした作品には、岩崎ネリさんの『毒蜘蛛夫人』がありますが、蜘蛛のビジュアルに惹かれる層はありそうですね。
お与袮が虫とわかり合える少女で、そのことが原因で、虫を迫害する人間を憎み、殺された虫たちに同情するようになったのはわかりますし、深く考えることもなく虫を殺してきた忠義が、涙を流して真剣に悔いる…言葉は悪いですが、「その程度」で優しく許すのも、お与袮らしい感じがして、私には納得ができました。やっぱりこの物語はカンダタのような極悪人を倒す話ではなく、ほんの気まぐれで虫をコロしたり愛でたりし、罪を指摘されたら素直に泣いて悔いる「普通」の人間を赦して愛する物語なのだと思います。
クモノイト…たくさんの人を殺めたけれど蜘蛛を助けたことで仏様にイトをたらしてもらったカンダタ。そのイトを独り占めしようとして、結局地獄に戻ってしまったストーリーです。それを冒頭にもってきて、忠義に蜘蛛を救わせることで、極悪人ではない「いいひと」の忠義が赦される対比は、上手い表現だと思いました。
おもしろかったです。