『あとさん〜暗夜ニ巣食フ憑影〜』はiwoさんの作品です。時は昭和のはじめ。叔父に引き取られて都会の女学校に通う朔(はじめ)は、憑夜見(つくよみ)の眼を持っています。この世のものならざる妖である憑影の姿が見えるのです。
朔は憑影に憑かれた男に襲われた下級生、千を助けます。
ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。
千と別れた後、朔は月読神社の境内で金髪の男と出会います。望月と名乗るその男は、朔を囮にして憑影を喰らうと申し出て、朔と行動を共にするようになります。
ある日、朔の女中の美奈萌が失踪します。美奈萌は、額に傷のある少年に唆され、恋人と来世で一緒になる呪術を自分たちにかけて心中し、失敗してしまったのでした。朔は憑影に憑かれた美奈萌と出会い、最後に美奈萌は自分を取り戻して死んでいったのでした。後日朔は美奈萌を唆した傷のある男に偶然出会います。彼は少年ではなく背の低い青年でした。
警官と新聞記者が、美奈萌のことで朔と望月を訪ねてきます。彼らにも憑影が憑いていることに朔は気づきます。警官は望月をサーベルで貫きますが、望月は警官ごと憑影を捕食します。ここで朔は、望月が神であることを知ります。新聞記者は望月からは逃れますが、傷のある男に撃ち殺されます。
望月は、朔は月読命を祀る神社の巫女だったといいます。子供の頃、神社と村が焼き払われ、生き残った朔は叔父に引き取られたのです。
叔父から月読命を祀っている村があることを聞いた朔と望月はその村を訪ねます。朔を祠に入れ、望月は憑影に憑かれて自分を襲ってくる村人たちに立ち向かいます。
朔を祠から出したのは望月ではなく傷のある男、剣です。朔と剣は村人たちに襲われ、剣は拳銃で村人たちを殺して朔を逃します。朔はズタズタに引き裂かれた望月の残骸を発見し、無意識のうちに巫女としての力を発揮して望月を復活させます。朔の力は村人たちも調伏します。剣は「千に気をつけろ」と言い残して去り、満身創痍の望月は朔の側からしばし離れるものの、なにかあったら自分が朔を守る、と誓います。
女学校に戻った朔は、同級生たちから激しく苛められます。彼女らにも憑影が憑いています。一方で、先生は、千という生徒は在籍していないと語ります。
朔を貶めようとする同級生たちを何故か千が襲います。とっさに同級生を庇う朔に、千は「お姉さまがヒロインである私を救う王子様のはずなのに、お話がそうならないのはおかしい。だから王子様であるお姉さまを虐めるダメな悪役は殺すのだ」と説明します。
そこで朔は、憑影の大元は千だったことに気づきます。そこに剣が現れ、千は、朔の村を潰した富豪である桂木の息子、十六夜だと言います。十六夜は男として生まれ、育てられましたが、心の中はずっと王子様を求めるヒロインでした。父に追い出された十六夜は心を病んで妖かしを宿し、父を殺し、王子様を追い求め、朔に助けられて、朔に王子様を投影していたのです。そんな十六夜を朔は突き放します。すると十六夜は朔をも殺そうとします。
そこで朔は望月を呼び、未だ満身創痍の望月が現れます。望月は朔に、十六夜を助けたいか、滅ぼしたいかを尋ねます。朔は助けたいと答えます。望月ははじけて朔に力をもたらします。そして朔は十六夜の心に訴え、十六夜を邪な闇の中から救い出します。
正気に返った十六夜は、朔を殺そうとする同級生から朔を庇って命を落とします。十六夜は、お姉さまを身を挺して守るなんて、自分のほうが王子様みたい、でもお姉さまとならそれでもいい、と言って満足して死んでゆきます。
千もイジメてくる同級生もいなくなって日常に戻った朔。千がいなくなったからか、憑影も見えなくなりました。剣が訪ねてきて、十六夜と朔は異父姉弟かもしれない、と伝えます。剣は新聞記者を殺したことで自首すると言って去っていきます。
満月の下、望月に思いを馳せる朔の前に突然望月が現れます。今生の別れだと思った、と言う朔に、望月は、まだ君との契約は生きていると言い、二人は手を取り合います。
重い空気のイントロと、レトロな女学校ですっと物語の世界に引き込んでくれる作品です。
少女漫画の場合、美しくない主人公、と設定で語られていても、結局見た目は美しく描かれているのが普通なのではないかと思います。『はいからさんが通る』の紅緒が、その代表格です。これは、なんだかんだ言っても、少女漫画では実際に主人公がブサイクだと感じる造作だと、やっぱり読んでいてあまりおもしろくないからだと思います。
そんなわけで、朔も不美人設定で、実際、千と比べれば「美少女」でないことはわかるものの、見た目は普通に地味かわいい少女なのでした。襟がタップリしたセーラー服と長いおさげ髪の、昭和レトロな感じがとっても魅力的です。クールな性格で、厭味にも(物語の終盤では激しいイジメにも)動じない一匹狼です。
そして洋装の金髪男の望月=神はキラキラのイケメンで、キザで、強引です。こうやって振り返ると、朔と望月の組み合わせは、往年の王道少女漫画のヒーローヒロインのようなのですが、読んでいる間は王道さを全く感じさせない、新鮮な物語でした。
千は自分のことを「ぼく」と呼ぶので、「昭和の始めに僕っ娘がいるのね」と思うものの、違和感は全くありませんでした。ところが千の第一人称がぼくなのは、千が男の子として生まれてきたからで、このあたり、女装してても女になろうとしているというよりは素で「王子様」を求めている子供、という感じがでていてとても納得がいきました。千の制服姿も私服姿も完璧な「美しい少女」ですが、十六夜としての思考を追うと、「何故ぼくは女の子じゃないの?」ではなく「いつぼくの王子様は現れるの?」だったように思えます。だからこそ、十六夜の最後も、「ぼくの前に王子様が現れる」ではなく「大好きなお姉さまのためにぼく自身が王子様になる」で満足できたのではないか、と思います。
先走って物語のクライマックス以降でわかることの感想を書いてしまいましたが、この作品が気に入ったのは、レトロ感と、暗さを感じさせる描写が多いのに、何故かカラっとしている雰囲気です。
憑影や、それを捕らえて食す神、過去に子供の朔が経験した村の全滅、巫女としての記憶を失っていたこと、同じ月読命を祀る村で、憑影にとらわれた村人たちに望月が襲われること、同じく憑影にとらえられた同級生によるイジメなど、じんわり湿った重さがある暗いストーリーのはずなのですが、その暗さを感じるよりも、一匹狼朔のクールな性格や、望月のキラキラなイケメン神であることからくるカラっとドライな空気のほうが強く感じられて、私にとってはトータルとして明るいお話に思えてしまうのです。
警官とか新聞記者のお話も、あらすじ的に考えると、二人でひとつの憑影に憑かれて憎悪を燃やしている怖ろしいお話だし、警官は望月の体をサーベルで貫いたりしていて、とっても悲惨で陰惨なシーンなのですが、警官が望月を最初に不審者扱いしていたところでむしろユーモラスな見当違いの熱血警官な印象が強かったりしちゃうのです。でもやっぱり、警官が望月を刺したところではショックだったし、ストーリー上でちぐはぐだったりする印象はありません。とっても巧みに作者さんに誘導されてしまいました。
十六夜の心情描写は怖かったです。昭和の始めの裕福な家庭の一人息子だったら、今なんかよりずっとずっと跡継ぎとして求められる男性像は強固だったろうと思います。そんな中で王子様が来てくれるのをじっと待つ十六夜の気持ちを考えると、かわいそうで仕方ありません。ずっとトンネルのなかにいて、朔に守られたときに突然光がさして、自分という存在を認められた気がするのはとってもよくわかりました。
悪役はヒロインを窮地に陥れて王子様がそこからヒロインを救うはずなのに、悪役たちがあろうことか王子様を虐めだしちゃったから、そんな使えない悪役は要らない、処分しちゃいましょう、というのが哀しくも恐ろしくて、ゾッとしました。
最後に望月が復活するのは、王道展開でよかったです。二人の間の愛情はどんな種類のものなのか考えちゃいます。望月は小さい頃の朔に歌を教えたりして愛でて、女子学生の朔と手を携えて世の憑影を周囲に呼んではそれを食べていくのですが、ラストシーンの二人はまるで恋人みたいな雰囲気でした。でも、朔はこの先人間の夫を娶って子供を作って、その子がまた巫女となって望月に歌を教えられパートナーになっていくんですよね。つまり二人の間にある愛情はバディ愛であって、男女の愛ではなく、しかも子供ができてその子が物心ついたら朔の役割は終わるんですよね。朔と望月との間にどんなに強い絆があっても、望月の神としての永遠の時の流れの中では、ほんの泡沫なんですよね。多分。
望月は神だから人間と同じ感覚を持ってはいないだろうけど、朔は恋人をつくるときには葛藤があるのではないかと思ってしまうのでした。