きみに恋する殺人鬼

『きみに恋する殺人鬼』はあきやまえんまさんの作品です。自己肯定感が低く、たやすく友達にマウントされ執拗に貶められながらも、その友人とつるんでいる龍斗。

その日もいつもどおり貶められている中で、胸が大きくかわいい顔をした心愛に出会います。

ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。

心愛はストーカーに付きまとわれており、龍斗に助けを求めます。龍斗はストーカーをはずみで刺してしまい、その動画がSNSで拡散されます。龍斗は病んでいきます。

後日ストーカーは改めて心愛を襲い、今度こそ龍斗はストーカーを殺してしまいます。その後も心愛の前に現れるのは胡散臭い不誠実な男ばかり。龍斗はどんどんこれらを殺していきます。

心愛の態度はいつも曖昧で、かわいいし悪意はなさそうだけれども、真意はつかめません。現れる最低男たちへの態度も曖昧で、泣いてばかりです。そんな心愛がうれしそうにするのは、龍斗が強引に「心愛ちゃんはついてくればいい」というときだけです。龍斗は心愛といてはいけない、自分と一緒にまっとうに生きていこう、と言ってくれる理子すらも殺します。

しかし、龍斗は次第に疑問を持ちます。これは愛なのか?都合のいい姿を相手のなかに勝手につくって、それを楽しんでいるだけなのでは?

龍斗は心愛と決別し、警察につかまります。

ここでの愛は龍斗に捨てられたことに驚きますが、自分の人生を振り返ると、「お前を愛しているからxxしてやったんだ」と主張する歴代の彼氏たちのなかで、自分にまっすぐ向き合ってくれたのは龍斗だけだったかもしれない、と気づきます。

いままでの心愛は、愛していると言ってくれる人を求めるだけでした。心愛は変わろうと決意します。

読み始めたときに思い出したのは、沖田龍児さんの『ヤバい女に恋した僕の結末』です。かわいいけど本人の意図かどうかよくわからないけどやたらと男の影がある女の子に惹かれる地味でこれといった特徴のない普通な僕、そして現れる男たちを手にかけていく僕、という構造はまったく同じ気がします。といっても、『ヤバい〜』の方は最近読んでいないので、今は全然ちがう話になっている可能性があります。

読み始めてすぐ、龍斗が、たいしたことなさそうな同級生に超絶マウントされているのでイライラします。それだけに、そこからの逆転になるような『スカっと』ストーリーを期待するのですが、あれよあれよといううちに、そんな同級生なんてどうでもいいような展開が龍斗を待ち構えていました。

龍斗も心愛も、親に愛されなかった過去を持っています。もうひとりのきょうだいと比べられて、こっちの子は要らない、という態度で育てられたのでした。そんな中で、心愛が自分を保つ方法は、外見をかわいく見せて『王子さま』が自分を連れ出してくれるのを待つというものでした。

通常は「いつか白馬に乗った王子さまが」、とは、何も努力せずに誰かが勝手に見初めて突然訪れてきて、手をとって「そしていつまでも幸せに暮らしました」に導いてもらうまで待つことをいうのではないかと思いますが、心愛はもうちょっと努力します。王子さまに見つけてもらうためにかわいくなるのです。そして、王子さまと思われる人が近づいて来ると、相手の思うがままの自分を作り上げて、相手が愛してくれると嬉しく思う、という生活を送っていました。しかし、そこに心愛という確固たる自分自身がいなくて相手におもねているのが実情です。相手に合わせているようでいて、それは相手が大切にしてくれる自分がかわいいだけで、相手に好まれてさえいればそれがどんな自分でも構わないし、相手がどんな人でも構わないという事実があるので、それを感じてしまう相手に大切にしてもらえなくなっていく、でも可愛いことは可愛いしなんでも言うことをきくので、ツゴウノいい女として扱われてしまう、という問題が生じるのでした。

相手がどんな人でも構わない、と書きましたが、実際にはそうではありません。心愛が全然好きになれない相手に好かれた場合には(そして王子さまに見つけてもらうためにかわいくしているせいで、頻繁にそういう男にも好かれていそうです)、心愛はちゃんと拒否します。最初につけいるスキがある女だったせいで、そういう相手は心愛が自分を愛していないことを認めず、ストーカー化します。「結局顔だろ!」とストーカー男はいいますが、私は多分ちがうと思います。心愛にだって好みはあるのです。イケメンが好きというより、多分「こういう人は好きじゃない」という相手がいるんだと思います…いや、どうかな。本来イケメン好きの心愛だけど、龍斗がまっすぐに自分を見てくれているところを見ているうちに、龍斗の、心愛にも自分自身にも真摯な態度をみているうちにほだされて好きになったので、龍斗は例外中の例外なのかもしれません。でもまあ、心愛がイケメン好きだったとしても責める気にはなれません。好きじゃない男を好きじゃないって言う権利は、心愛にだってあると思います。

つい力説してしまいました。それというのも、このお話、ずば抜けて依存性と思わせぶり能力が高い女の子と、惚れた女の子のためだったら、成り行きで始まったとはいえ、殺人鬼にまでなっちゃう男の子の突拍子もないお話でありながら、恋愛で一番人が迷ったり悩んだりする(と私が思っている)ことが描かれているからです。「人を好きとはどういうことをいうのか。好きな相手が自分を振り向いてくれたり自分の好きなことをしてくれるのが嬉しいのだとしたら、それは自分が嬉しいということが好きなだけではないのか。それを愛といえるのか」という、人間には永遠に解けなさそうな思いが、この作品のテーマで、それは私には身近なテーマなのです。

龍斗は考える中で「ごめん、オレ、君のことが好きなわけじゃないや」と結論づけます。にもかかわらず心愛は後で振り返って、自分を本当に見てくれたのは龍斗だけだったと結論づけます。多分、自分の想いは本当の愛かどうかなんて、自分が考えることじゃなくて、相手がどう感じるかが重要なのでしょう。相手を好きなのか相手を好きな自分を好きなのか、なんて、本当は自問自答しなくていいのでしょう。心愛が「龍斗くんは私のことを好き」と思えて、同時に龍斗が「心愛ちゃんは俺のことが好き」と思えれば、考える必要はないのだと思います。

結婚したことがなくて恋人もいない私だから「愛するとは」なんて考えちゃうのかもしれません。長年連れ添って、浮気もしないでいるご夫婦だったら、そんなことを考えている時間はないのかも。しかも、お子さんがいる方にとっては、絶対的な愛情は、もっと身近に感じられるのかもしれません。親への愛や尊敬の情と、子供への無償の愛はまた違いそうな気がします。

泣いてばっかりの心愛。殺人鬼にまでなってしまった自分にとまどいながら心愛を突き放すという愛情を見せた龍斗。それも、突き放すことが愛だと思ったわけじゃなくて、こんなのは愛じゃない、と思った末の決断であることが泣けます。犯した罪の重さの割に愛について突き詰めている龍斗に好感を持ちました。

龍斗が逮捕されてからの安定のクズ発言をするマウント同級生と、それに同調しない他の冷静な同級生たちも好きな描写でした。マウントにはイライラはしますが。

心愛が、最後に変わろうと決断するところも好きです。変わらなきゃ、とか発言するのではなく、動作と表情で表現されているのも好きです。これからは、心愛ちゃんは男の言いなりになることもなく、恋愛以外でもしっかりと自分を肯定して生きていけるでしょう。毒親からの独立は心愛みたいな子には難しかったけれど、龍斗のおかげで強い心愛になれたことは本当によかったと思います。(つくづく龍斗が不憫です…)

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