『イチケイのカラス』は浅見理都さんの作品です。取材協力・法律監修は櫻井光政さんと片田真志さんです。武蔵野地方裁判所の第一刑事部に異動してきた坂間は、左陪審を勤めます。
部長の駒沢は今まで30件もの無罪判決に関与し、しかもそのすべてが再審で覆されることなく無罪で確定しています。右陪審は入間。坂間とは正反対の性格であることを現す散らかった机を見て坂間はため息をつきます。
ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。
被告の話を聞ける裁判官でいたいと志す駒沢と入間。真面目で四角張った坂間も、正義を貫きたい気持ちにかわりはありません。穏やかで人望のある駒沢と変りものの入間、そして柔軟すぎる書記官石倉やのほほんとした事務官の一ノ瀬らと一緒に仕事を続ける中で、坂間も自分の志を貫きながらも人として真摯に仕事に向き合い、柔軟性も少しずつ身につけていきます。
お話は現在の裁判の一面を紹介し、坂間や入間の葛藤や成長を描きます。裁判員裁判で裁判員に選ばれた人の心情や、それに気を配りながら適正な裁判に導こうとする裁判官たちの努力も描かれます。
ここでは、ホームレスの妻が病で亡くなったホームレス大木の裁判のエピソードを紹介します。
大木は自転車を勝手に使っていた罪で執行猶予を受けている中でした。検事によると大木は、妻の病状を正確に診断できなかった医師に腹を立て、襲う目的で包丁を持って病院に行き、医師との面談を迫り事務員を脅した、といいます。実際は、包丁は大木にとって数少ない大事な持ち物で、医師への抗議をするにあたって拠り所として無意識に持ち出したものでした。国選弁護士は覇気がなく、情状酌量を狙う構えです。弁護士の無気力な態度に入間は業を煮やし、被告人の心情をきちんと聞きたいと熱望します。
入間は悩んだ末に罰金刑を言い渡します。罰金は、お金がない被告人の場合は拘留に換算することができ、裁判までに規定の期間既に拘留されていた大木は放免されます。無気力な弁護士では大木に必要な支援を行わないと予測した入間は、検事の井手にサポートを託し、井手は保護観察所に大木を送る手配をします。
坂間は入間に「僕なら再度の執行猶予にします」と話しかけます。入間は、今後ホームレスとして大木が生きていく中でひとつも罪を犯さずにいることは難しいと考えたことをことを告白します。罪を重ねて裁判員の前を通って刑務所とシャバを行き来する弱いホームレスたち。でも、そんな大木の弱さは彼だけのものか?と入間は問います。自分のしたことは大木の人生にとって大きな意味を持たないかもしれないと思いつつも、入間は大木に寄り添わずにはいられません。この裁判に直接関わらなかった坂間にとっても決して他人事ではありません。
更生保護施設に入った大木は支援を受けて立ち直り、果樹園で働いています。亡くなった妻を心の中で生かしつつ、大木は入間に感謝の気持ちを綴ります。
左陪審、右陪審、というポジションがあることは知りませんでした。日本の裁判は有罪になりやすいことは知っていましたが、99.9%という数字は知りませんでした。私たちが裁判にふれるのは多くはTVや映画のなかでのこと。私は日本の法曹ものより海外ドラマでのほうがよく見ている気がします。このイチケイのカラスもドラマ化されていたようです。入間がイケメン俳優、坂間がきれいな女優さんだったので、人間関係のニュアンスはかなり違った作品になっていたのではないかと想像します。
坂間は鼻が大きい鳥顔、と入間に指摘されています。作者さんも、各キャラの外見にはあたりまえではありますが、相当力を入れて創っているに違いないので、『ザ裁判官』という坂間がこのような容貌をしているのはしっかり意味がありそうです。
この作品の法曹界の人々は、上に挙げた大木さんのケースの国選弁護士以外は、みんな仕事に真面目で、罪を憎んで人を憎まず的な真摯なキャラクターばかりです。その人たちが個性豊かで、淡々としているけれども、裁判という人の人生を左右するイベントに真正面から立ち向かう姿には心地よいものを感じます。どんな結末になろうと、駒沢、入間、坂間の3人である限り、真剣に人の罪に向き合った結論を出してくれるだろうと、安心してしっくり読むことのできる作品でした。
扱いにくい四角四面な裁判官として登場する坂間も、見学に来た中学生たちの質問を適当にあしらったりせずに真正面から答えるところも面白いです。そこで、こちらもヒトクセもフタクセもある入間が不審者として登場して坂間と意見を交わします。その場にいた中学生置いてけぼりで、坂間も入間も真剣に語るところはおもしろかったです。中学生を子供扱いしてあしらうことなく、裁判官の仕事の意義をまともに語る裁判官を見れた中学生たちはラッキーだな?と思ってしまいました。仕事をしたこともなく、質問の真の意味もわからずに興味本位の質問をする子にも、裁判の怖さを慮って質問する子にも、まっすぐ答える坂間と、誰にも自己紹介せずに「俺は刑事裁判官が嫌いだ」と突然発言する入間も、どちらもある意味厄介な裁判官で、この先ことごとくぶつかっていくんだろうな、と思ってしまったのですが、この物語はそんな裁判官同士のドロドロを描くものではなく、皆が真面目に仕事する話で、とても惹きつけられました。
駒沢部長の実績や入間の言動は、99.9%が有罪という現実に反するものなので、坂間は社会のいろんな理不尽に悩み、駒沢や入間に指導され、感化されていくのでは、とも思ったのですが、そうでもなく、ただ、坂間も入間たちと同じように裁判官として考え、判断していきます。裁判の中で心を閉ざして、ただ時が過ぎるのを待って判決を聞こうと思っている人たちに、坂間も入間も寄り添おうと努め、同時に情に流されることなく冷静にその都度その都度の最善の判決を下そうと努力します。裁判官という、権限はあるものの、ドラマチックな展開がない中で中立の立場で、かつ親身であろうとする姿が描かれていて、全 4巻を一気に読んでしまいました。
最初に、裁判は縁遠いもの、と書いてしまいましたが、私もいつ裁判員に選出されるかわかりません。裁判員裁判について描くことも、この作品の大きな目標だったのでしょう。裁判員として、してよいこと、いけないこともわかりやすく描かれていました。裁判員も無作為に選ばれているので、クセのある厄介な人がなってしまうこともあるかもしれませんが、この作品ではみんな、裁判員になったことに戸惑いながらも責務を果たそうと必死になっていて、だからこそ、プロの裁判官である坂間の苦心も際立って、興味深いお話になっていました。
まだまだいくらでも続きそうな中、また中学生の見学会に対応してまっすぐに語る坂間が、以前の見学会からちょっと変わっていることもわかって、アッサリとお話は終わります。わざとらしさがなくて、気持ちのいい作品でした。