いじめるアイツが悪いのか、いじめられた僕が悪いのか?

『いじめるアイツが悪いのか、いじめられた僕が悪いのか?』は、原作 君塚力さん、作画 日丘円さんの作品です。相沢は中学生時代、鈴木を中心としたグループにひどくいじめられていました。20年後に行われた同窓会でも、鈴木は相沢に「いじめられる側にも原因はある」と言い放ちます。

そんな鈴木には中学生の娘、詩織がいます。詩織は細かく嫌がらせをうけています。その担任は実は相沢です。

ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。

詩織へのいじめは徐々にエスカレートし顕在化します。相沢はいじめる側に加担しているように振る舞い、同僚の矢崎はイライラします。校長は学校でのいじめはゼロにしろと言い切ります。詩織は、いじめのことを父に相談しようとしてできず、その一方で鈴木は相沢に、再度いじめられる側が悪いと強調し、いじめられるような価値の低い奴は愛せない、とうそぶきます。

詩織をいじめた首謀者は言い逃れをするために、いじめの首謀者は相沢だと主張し、保護者を呼んだ全校集会が開かれることになります。そこで相沢は、自分がいじめられた経験を告白し、いじめられた側は謝罪と天罰を望んでいると主張します。相沢はいじめっ子の鈴木の娘の詩織がいじめられるように仕向けたのではなく、いじめっ子の娘でも助けられるのか葛藤した後に、結局助けることを決めていたのでした。

詩織がいじめられるきっかけとなったのは、鈴木と矢崎の不倫でした。鈴木は詩織がいじめられていたことや原因が自分であることにショックをうけますが、詩織は鈴木を見放します。

鈴木は矢崎との不適切な関係とそれを原因とした家庭問題で左遷されます。鈴木は相沢を殺そうとしますができません。逆に相沢は鈴木を直接殺して復讐するチャンスを手に入れますが、それを行使する誘惑に耐えます。しかし、直接手を下さないだけで、復讐は続きます。鈴木は相沢の殺害を友人に依頼し、その音声データが職場に渡って解雇されます。

どん底に落ちた鈴木が今度こそ詩織のためになる行き方をしようと思ったその時、銀行員時代に酷い形で融資を断り、自殺しろとまで罵った相手に無理心中を図られます。

教師をやめて学校事務員を勤める相沢は、ひどい職場いじめが原因で自殺を図る教師に、「消えるのはあなたではない。犯罪者である彼らだ」と語りかけます。

タイトルをみてまず思うのは「悪いのはアイツに決まってるよ!」です。私は少なくとも気づく範囲でいじめのない幸せな学生生活を送ったので、そう言い切るときに葛藤を感じずにいられるのはラッキーなことかもしれません。

いじめがずっと続く話は苦手なので読むのをやめようかとも思いましたが、あらすじをみると、相沢本人がいじめられる話ではなく、いじめられっ子でありしかも大人になってもそのことを何ら恥じていない鈴木の娘が、相沢が担任する生徒だということで、がぜん興味をもちました。

まずは相沢と鈴木の同窓会から話が始まるので相沢に感情移入し、鈴木の娘がいやがらせを受けているのを見てちょっとだけ「復讐しちゃえ」という気持ちになっちゃいましたが、詩織はいい子なので、詩織がいじめられることがどんどん辛くなっていきます。そして、最初のうちは、相沢がそうなるように生徒たちを誘導しているかのような表現があり、相沢のことも好きになっている読者は、詩織にも相沢にも幸せになってほしくて葛藤を抱えることになります。先生という立場を使って生徒の立場の人にいじめの復讐をする話としては、奈樫マユミさんの『復讐の檻』や廣瀬俊さんと河野慶さんの『復讐の教科書』を読んだことがありますが、これは生徒の人格が先生に入り込むものです。また、合田蛍冬さんと三石メガネさんの『小悪魔教師♡サイコ』も、先生が生徒を制裁しますが、この作品のテーマはいじめの報復ではなくサイコパスの殺人です。先生が親のかわりに生徒に復讐するって新しいかも、と思いながら読みました。実際はどうなんでしょう?お話としてはありそうな気もしますが…

いじめられてもひたむきに強い詩織はかっこよくてとても好感がもてました。相沢が詩織の敵ではなく、自分をいじめた鈴木への復讐を諦める気はないながらも、詩織のことは守ろうとしていることがわかったときには、気持ちがハレバレしました。詩織が自分をいじめる側にまわった元親友の由美を許すところは感動的でした。本当にいじめにあっていたひとから見たらキレイゴトに見えてしまうのかもしれませんが、詩織のまっすぐさに、読んでいてとても助けられました。

鈴木の、大人になっても変わらないクズ人間っぷりには本当に引きました。職場での鈴木のスタンスにも引きますが、これはリアルに世の中にいくらでもあるケースのように思います。もし、鈴木が選んだ不倫相手が、矢崎先生みたいな地雷系女子じゃなくて「不倫の罪は男だけでなく自分にもある」と考えて身を引いちゃうちゃう女だったら、鈴木の破綻もそこそこで追わっていたのかな、と考えこんでしまいます。矢崎が鈴木の妻に離婚を迫ったから妻が自殺未遂をして、その後夫にマインドコントロールされていた自分に気づいて、自立することになったけど、もし矢崎が黙っていれば、母親は娘である詩織を支援することはなく、父から離れようとする詩織の自立を妨げていたと思われます。でも、鈴木のような男は、本質的に自分の言いなりになる相手(学生時代の相沢のような存在)には魅力を感じず、黙って身を引くような女を愛人にすることもなかったかもしれません。

本店に栄転というタイミングで、愛人をあらかじめ切っておかなかった鈴木はバカとしかいいようがありません。自信家だからこそのミスなのかもしれません。職場での失脚が決まってもう先がない鈴木が、融資を切る顧客に意地悪するのは何をいまさら、と思ったのですが、この出来事は「鈴木を完全に破滅させる」という相沢の希望に向けて、鈴木が掘った墓穴でした。とても悲しい出来事ですが、鈴木の最期としては、自業自得、因果応報でした。

ラストも、このお話にふさわしいものです。因果応報は漫画を読むときには、カタルシスのある展開です。だから、先生間での激しいいじめに対して「いじめられっこにとって大切なのは、自分を理不尽に辛い状態に追い込んだ相手には、因果応報をもたらすのでなければ、いじめられた側には幸せは戻らない」と考える相沢が、活躍して、いじめられている教師を助けることに違和感はありません。

相沢が果たした因果応報は正しいのか。詩織と由美が見せてくれた「心からの謝罪と許し」に人は到達できるのか。とっても難しい問題提起をしてくれた作品だと思います。やっぱり、読んでよかったです。

にほんブログ村 漫画ブログ 漫画感想へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です