ブルース

『ブルース』は、著者 もんでんあきこさん、原作 桜木紫乃さんの作品です。左右の手に6本目の指を持ち、男なしでは生きられずでも男に長くは愛されない女の元に生まれ、崖の下の貧民窟で育った影山博人。

博人はまっとうとは言えないしのぎで平成の釧路の夜の支配者となります。

ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。

影山の死を新聞の訃報欄で知ったビスクドール作家の柏木牧子は影山を理解したくなり、彼を知る女たちから話を聞き出します。

女たちはそれぞれ影山の人生のある時期を知っています。牧子自身も、貧民窟に住む影山と中学の同級生として知りあいました。影山に淡い気持ちを抱いた牧子は、彼にミトンを渡します。その後23歳のときに再び巡り合った運転手をしていた影山には6本目の指がありませんでした。さらに20年ほど経った時、影山は牧子の夫の財産を奪い、夫は自殺します。

影山は子供の頃から近所の女性たちの慰み物になっており、中学生の頃にはすでに性技に長けていました。男娼として体を売っていた時期もある影山ですが、そういった関係の相手にも深い印象を残しており、牧子は客として影山と出会ったマダムからも話を聞きます。影山が6本目の指を落としたときにそばにいた女は、歳を経ても清純さを残す牧子には性技の詳細は語りません。

札幌でヤクザまがいになった30代の影山は、顔にあざのあるまち子を誘って釧路に出奔します。釧路でカオになった影山は市長選のフィクサーなどもし、謎の男のポジションを確立していきます。52歳になった影山は、まち子の娘である莉菜が写真の賞をとったことで、莉菜の凱旋個展を企画します。しかし莉菜のストーカーが莉菜を個展会場で刺そうとし、影山は莉菜を庇って自分が刺され、命を落とします。

牧子はまち子からも影山の話を聞こうとし、冷たくあしらわれます。牧子は莉菜から影山の最期を聞き、影山が命を落とした場所に足を向けます。そこには市長の妹の千雪がおり、牧子が中学生のときに影山に渡したミトンを捧げて祈っていました。千雪は、影山はこのミトンを「借りを忘れないため」と言って持っていたと言い、牧子の夫が自殺したあとにゴミ箱に捨てられていたものだと説明します。借りは返せないと思ったのだろう、と千雪はいいます。

牧子が想いに浸っていると影山が現れます。牧子は「私にとってこのミトンは好意だったのにあなたにとっては借りだったの?」と涙を流します。影山は「手袋は返した。俺も俺の指を返してもらうぞ」と言い、牧子に覆い被さり…そして消えるのでした。

悲惨な環境で育ち、左右とも6本指という異形の男。学校では孤立して、あまりの異質さに、いじめの対象にすらならなかった影山が、つらい境遇から6本目の指を自分の意志で落として、あらゆる手を使って釧路の夜の支配者にまで上り詰め、フィクサーとなって市長もかげで操る存在となり、結婚しながらも幾多の女と浮名を流し、義理の娘のハレの日を祝っているところで刺されて死ぬ、という波乱万丈の人生を、関わった女とのいきさつから描いた物語です。影山は子供の頃から周囲のおかみさんたちにおもちゃにされ、幼くして必然と身についた性技を使って女たちと独特の関係を築くので、基本的どのエピソードでも性技の話がでてきます。ただ、同じ貧民窟で育った幼馴染とは性的関係にはならず、さり気なく彼女のために尽くします。また、義理の娘である莉菜とは、さすがに男女の関係にはなりませんが、それでも莉菜には「お前は使い減りしない女だ」という言葉を与えたり、莉菜が写真の新人賞を得るのが影山の写真だったり、どこか艶っぽさを感じさせる関係を築いています。

セックスが人生にもたらす意味が何なのかによって、こういったセックスを語らずには語れない作品の捉え方は変わってくるのかもしれません。影山は性技が上手いので、女たちが自ら我を忘れ快楽を追求して積極的に影山と絡み合う、という描写が何度かでてくるのですが、影山の性技に溺れて影山に惹かれていく、あるいは行為を通じて自分自身に何かを確立する、という感覚を、私はあまり理解できていないかもしれません。影山が、女に何か、影山を知る(あるいは影山の体を知る)前には持っていなかった何かをもたらす存在でありそうだと感じました。桜木さんやもんでんさんの意図とは全然違うかもしれません。でも、作品としてはそれでいい気もします。作品は作者のものであると同時に、読者のものでもあるので。

牧子という存在は、影山にとって何だったのでしょうか。裕福な家のお嬢さんで悪意がなく、6本指を見せつけられて素直に驚く少女。寒そうだったから、と贈られたミトン。性行為を求めてきたのに、隣の部屋から聞こえてくるよがり声みたいな声は出したくないという中学生の牧子。亡くなった男の6本目の指は今でも自分の中にあるような気がすると思う、壮年の牧子。男娼になってもヤクザのケツモチになってもフィクサーになってもずっとミトンを持ち続けた影山。そのミトンの贈り主の夫を財政的に追い込んだ影山。その夫が自殺をするとミトンをゴミ箱に捨てた影山。牧子の影山への想いと、影山がミトンを手元に置き続けそして捨てた想いだけでも、いろんな解釈が頭をよぎります。そして、影山の想いは、この作品のなかで紹介されている女たち、そして多分それ以外にもいた、影山と浅からぬ縁を築いた女たちとの関係でも積み上げられているのに違いなく、作品の行間に詰められたものがあまりにもたくさんあると感じて、それに圧倒されてしまいます。

影山の魅力って何なんでしょう。莉菜は、左右対称でなくても美しいものがあると、影山のことを評しますが、もんでんさんが描く影山は、若い頃も青年期も壮年期も、影があって色気たっぷりでかっこよいです。こんなに色っぽくてイケメンだったら、いくら貧民窟の子で指が6本ある異形の子でも、女子中学生たちは憧れを持ってしまうんじゃないかと思いますが、学校では完全に浮いていてそういう対象ではありません。大人になった女たちも、影山を見てルックスから一目惚れしてしまっている描写はありません。指に違和感を持つ女性もいますが、5本指に慣れてからの影山がぎこちなさを見せるわけでもありません。でも、女たちと影山の間には、いつも最初から何か行間を読ませるものがあります。影山が自分で指を切り落としてまで自分の人生を自分で切り開いてくのだという強烈な思いが、女性を惹きつけるのかもしれません。

現実には、6本指で生まれる子は多分ほとんどが物心つく前に手術を受けるだろうし、影山が生まれた時代もおそらくそうで、ただ、影山の母親の経済的事情と精神的事情からそれが行われなかったのだろうと思います。その後自分で故意に事故で片方の小指を失い、もう片方は自分で落としたことを考えると、指のことでは相当な葛藤が影山の中にあったのだろうと思われます。それを直接描かないで讀者に想像させるのもすごいと思いました。

私は釧路に行ったことがありません。釧路といえば霧の街で、日照時間が少ないイメージがありました。しかし、ネットで軽く調べてみると、釧路の年間日照時間は札幌と比べると長く、東京と比べても多いくらいだということがわかりました。この作品の中でも、別に釧路の霧の話はでてきません。勝手に薄暗さのある北の街をイメージしてしまいましたが、桜木さんが釧路を舞台に選んだ理由は何だったのでしょう。釧路にいって確かめてみたくなりました。

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