『リモート・パラサイト〜顔のない鬼が僕を喰らう〜』は漫画 加藤山羊さん、原作 矢樹純さんの作品です。突き出たもののない漫画家井沼がベテラン漫画家成田ヒカルの原作で漫画を描きます。
作中作品のタイトルは「アンピュレックス・コンプレッサ」。エメラルドゴキブリバチの学名です。このハチはゴキブリの神経節を狙って毒を注入してゴキブリの意思を奪います。ゴキブリを巣穴に誘導して腹部に卵を産みつけます。ゴキブリは生きたまま卵から孵った幼虫の餌になり、幼虫はゴキブリの体内で成虫になると空っぽのゴキブリの体内から出ていく。そういう特殊なハチの名前です。
ここから先はネタバレなのでご注意下さい。
井沼はシナリオに魅せられ、張り切ってネームにとりかかります。「ベテランかつ覆面漫画家の原作で漫画を描く主人公」というそのままの設定もそのままですが、変な女につきまとわれ始めるというストーリーまでもが現実に井沼の周囲で起こります。その後青森にあるベテラン作家の家に行くというストーリーのまま、井沼は担当編集の来栖と親友の内藤と共に青森に向かいます。
そこでは成田ヒカルの前任の担当編集、高畑の遺体があります。そこに怪しい女が来て、井沼は腹を刺されます。これまでだと思ったその時、女は自分の首を刺して自殺します。
病院で気づく井沼。病室にはアンピュレックス・コンプレッサの最終話が置かれており、主人公の漫画家が真実にたどり着きある人を殺すと書かれています。
シナリオに従って真実をつきとめようとする井沼。井沼は内藤が成田ヒカルだとの結論にたどり着きます。問い詰める井沼に薬を盛って意識を失わせた内藤ですが、実は来栖に騙されていました。成田ヒカルは来栖。井沼に内藤を殺させ、作品を生み出そうとしていたのです。
来栖は幼いときのトラウマで、作品を作っているとの実感を持てずにいました。作品は降ってくるもので生みの苦しみを感じたことがない。高畑と不倫をして子供ができたものの流産してしまい、現実に子供を生むこともできなかった成田ヒカルの精神は壊れ、アンピュレックス・コンプレッサと同様、井沼に毒を注入して井沼が物語のラストを作る=内藤が犯人だとの結論に達して内藤を殺せば自分が井沼を操って作品を生み出したことになる、という妄想に突き動かされていたのでした。
井沼が内藤を殺すことを拒否し、自分の思い通りにならないことに気づくと、来栖は逆に物語が井沼の中で変質して、結局は自分の望みどおり新しい物語ができたと感じて満足し、自らビルの屋上から身を投げて物語を終わらせようとします。
しかし来栖こと成田ヒカルは死にませんでした。記憶を失って幼女に戻った来栖は絵を描きます。記憶のないはずの来栖でしたが、絵の中には彼女が名を呼んだという地元の神の絵が描かれ、、、
荒い感じのタッチの絵が、この物語の怖さを際立たせています。すべての登場人物のセリフのない意味ありげな表情がとても印象的です。
新人漫画家がベテラン漫画家の原作で作品を描くというお話と事実がシンクロしているのも興味をそそられますが、序盤で一番読者の心をざわつかせるのは、やはりアンピュレックス・コンプレッサのお話ではないでしょうか。私もザワザワして、読み進める前にネットで検索しちゃいました。で、実験動画などがあり、ゴキブリがハチにやられちゃうシーンもでてきて、、、多分に漏れずゴキブリ嫌いの私にとっては見続けるのが苦痛な動画でしたが、やっぱり見ちゃうのでした。ああ、ゴキブリってどうしてこんなに気持ち悪いんでしょう!ただの虫だとは思えません。気持ち悪いー。そのゴキブリを食べるエメラルドゴキブリバチは更に気持ち悪いよう、、、
そしてアンピュレックス・コンプレッサの生態を物語のキーにしたのが編集者にして覆面漫画家の成田ヒカルこと来栖でした。成田ヒカルに対するおどろおどろしい印象に反して来栖は有能な編集者そのもの。少なくとも私は最後に明かされるまで来栖が成田ヒカルだという正体に気づいていなかったので、ドキドキしながら作品を読んで、おそらく作者さんの思い通りにビックリしてショックをうけて読み進むことができました。
来栖は、作品は降ってくるもので自分で産み出した実感を持ったことは一度もないといいます。成田ヒカルは20年ちかく第一線で活躍している人気作家なので、うらやましい限りですが、そのバックグラウンドに、母に支配されて自傷し死に至る父や、自分自身も母に罵倒されて心をからっぽにしないと生きてこれなかったことがあると思うと、心が痛みます。
あらすじにはまったく出さなかったもうひとりの重要人物凜香は漫画家ですが、来栖に「才能がない」と言われ続けて精神のバランスを崩し、もう漫画を描けなくなります。井沼はどんなに来栖に誘導されても一切めげることなくひたすらに作品を生み出すことに邁進します。その情熱こそが来栖に目をつけられるきっかけになりました。
このお話は、覆面原作者に操られて異常な体験をする漫画家の話であると同時に、湧きいでる泉のように作品を描き人気を保つ成田ヒカルが陰湿な気持ちでアシスタントや他の作家の芽を摘んで、筆を折らせるだけでなく精神を崩壊させ、多くの場合命までも奪ってしまう、という悲惨な物語でもありました。
その成田ヒカルが狂った頭でアンピュレックス・コンプレッサのように、原作者と漫画家という立場で他人を使ってその才能を食いつぶして作品を世に出せば、自分が作品を生み出したことになるのでは、と考える気持ちは、最初読んだときにはいまひとつピンときませんでしたが、読み返してみて、凜香がこわされてしまった過程をきちんと理解すると、来栖の意図もスッと頭に入ってきました。
成田ヒカルが、読めないはずの神の名を呼んで破門にされたという話は、どう理解すればいいのかまだ迷っています。このことは物語のラストそのものに繋がっているので、そこを解決しないとこの物語は終わりません。成田ヒカルの狂った頭の中で「まだこのおはなしにはつづきがあるの」というセリフと、童女にかえった来栖の無邪気なはずの表情の凄みを、私が理解する日はくるでしょうか?
まだ解釈できてないところがありそうなので、また読んでみようと思います。