『サイソウフレンズ』は江唯みじ子さんの作品です。入社5年目にしてパワハラで後輩から訴えられるほど強い女性、武藤薊(たけふじあざみ)が主人公です。
薊は自分は悪くないと思いながらも空気を読んで会社を辞めます。誰もかばってくれなかったことに傷つきます。
ここから先はネタバレなのでご注意下さい。
薊は気晴らしに里帰りし、同窓会に出席します。高校時代のまま女王然とした薊に調子を合わせていたクラスメイトたちでしたが、薊の傲慢で思いやりのない態度をきっかけに、全員が薊をひどく嫌っていることをぶちまけ始めます。ショックをうけて場を後にする薊を、昔から薊についてまわっていた自由太が追いかけてきます。
薊が喜んだのもつかの間、自由太はあんたのことが大嫌いだったと追い打ちをかけます。カッとして歩道橋の上から自由太を突き飛ばした薊は、自由太が頭から血を流して倒れているのを見て思わず、なんでもするから誰か助けてと叫びます。そこに雷が光ります。
そこで薊は高校時代へと戻り、自分が皆をそそのかしていじめさせていた黒井という同級生の体の中に入っている自分を見出します。薊の記憶の前では、薊はクラスの前で黒井の服を脱がせて辱めを与えた後、男子生徒たちに性的暴行をするようにそそのかします。その後、黒井は死んだのでした。
黒井になった薊は、高校時代常に自分と行動を共にしていた自由太が、実は黒井へのいじめを少しでも軽くするためにそうしていたことに気づきます。また、本当の黒井自身が幽霊のようになって自分のそばにいることにも気づきます。過去の自分自身に追い詰められていく黒井の中の薊は、いきがかりでクラスメイトのノリコに自分(黒井)の味方になってくれと頼みます。
その後、現在に戻った薊は、未来が微妙に変わっていることに気づきます。しかし、自分が嫌われている状況は変わらず、みんなのそばを離れた薊はまた過去へと飛ばされます。
タイムリープをなんどか繰り返して黒井として生活する中で、薊は少しずつ変わっていきます。劇的な変化ではありませんが、元からもっているカリスマ性は黒井になった薊にもあり、対象となる相手は少ないものの、プラスの影響力を人に及ぼすようになっていきます。その一方で、過去の薊はどんどん悪の色を増していきます。黒井への暴行事件は過去にはその場の思いつきで起こったことでしたが、変わりつつある過去の中では、薊は計画して黒井に暴行を加えようとしはじめます。
ノリコを始めとして過去の人間関係も変わり、自由太も黒井の中に薊ががいるときにはそれがわかるようになります。薊は、自由太を殺してしまった現在を変えるため、過去の自分と闘います。
何度目かの現在で、死んだクラスメイトは黒井だけではなくなっています。過去に戻った自分(黒井)が能動的に動くと現在にも影響が現れるとわかった薊は、過去の自由太やノリコ、霊的存在になっている本物の黒井とともに状況を変えようと努力を続けます。
そんな中、避けようとしていた黒井への暴行の始まりのシーンが再現されてしまいます。黒井の中にいる薊は、自分の記憶とクラスメイトたちの表情が違っていることに気づきます。暴行を加えようと喜んでいるように見えたクラスメイトたちは実は緊張し、自分たちの暴力性に戸惑っているようでした。
黒井になった薊はクラスメイトたちに「なんで言うこときくの?なんで拒否しないの?」と声をかけます。それをきっかけにノリコもうごき、その場にいなかった自由太が非常ベルを鳴らしたこともあって暴行は回避されます。
黒井いじめと別のクラスメイトの死のきっかけをつくった少女が悪い、と言い始めたノリコたちに、薊(黒井)は「元凶は薊なんだよ」と言います。学校の屋上で激情した過去の薊は屋上から落ちます。思わず手を伸ばした黒井の中の薊は過去の自分に言います。「あんたは悪くない」「必死だっただけ」「あんたは薊の黒い部分。未来へは連れていけない」落ちていく過去の薊を見送り、薊は黒井の生霊にも別れを告げます。
薊はそれ以来、意識を失っています。自由太との子供をお腹に宿しているために同窓会に行けなかった黒井(現在の自由太の妻)が見たのは、目を覚ました薊。過去ののままの薊ではなく、一連のタイムリープで人の心の痛みを思いやる人間に変わった薊だと確信して、黒井は涙を流しつつ微笑みます。
江唯みじ子さんの作品を最初に読んだのは『サイソウラヴァーズ』でした。「サイソウ」シリーズなのでしょうか。やはりタイムリープをモチーフにしたお話でした。Renta!では何か読むと、同じ著者の作品を紹介してくれるので、サイソウラヴァーズを読んだ後にはサイソウフレンズが表示されました。ラヴァーズの方では猫のような縦長の瞳が特徴だった江唯さんですが、フレンズの方では丸い瞳になっていました。特徴がなくなったといえばそうも言えますが、私はどちらの絵も可愛くて好きです。
初っ端からラヴァーズとはだいぶ違う主人公の境遇(パワハラで事実上のクビという自業自得状態)にひきつけられましたが、強い信念を持った女性という意味では、ラヴァーズの主人公も薊も似ています。江唯さんはこだわりのある女性を描くのが得意なのかな。2作読んだだけではなんとも言えませんが。
薊は本来共感の持てる主人公ではありません。黒井の死(暴行を苦にしての自殺だとみんなが思っている)についても「いじめたのはあんたたち。私は関係ない」と言い切ってしまいます。その一方で、子分扱いしていた自由太が大人になってかっこよくなったのを見ると「じゅうーたぁーーみんな酷いよ」と甘えてみせます。
そんな薊ですが、いじめていた黒井になってしまっても比較的落ち着いています。事情をみんなに話しても信じてもらえるわけがない、と、どこか冷静なところがあるからです。とはいえ、黒井になってとまどったり隠れたりやり過ごしたり自由太にかばわれたり、自由太の本当の気持ちに気づいたりしている薊に共感するのは難しくはなく、自然と薊に気持ちが寄り添うようになります。そして、この経験で学んで変わって欲しいと思えるようになるので、お話の進み方に無理はなく、楽しんで、ストーリーにハラハラしながら読むことができました。
いじめられても義理の家族のために耐えていた黒井も、じめじめするわけではなく、自分の体に這入った薊を責めるでもなくむしろ助けようとしているところも共感度高かったです。もし自分の体に他人が入って、自分は生霊になってしまったら。薊が黒井の存在に気づくのはしばらく経ってからなので、黒井がパニックになっていた時間は過ぎて、こう振る舞うしかない、という心境に達していたのかもしれませんが、黒井という、両親を亡くして、愛情あふれる義家族の中で感謝する気持ちをもちながらも壁をつくってしまう少女の心情と性格がよく表現されていました。
薊が、本来はいい意味でクラスに影響を与える女の子だったのに、何故か方向性がかわってクラスの恐ろしい女王様として君臨するようになってしまっていたことに自由太が気づくところは切なかったです。もし、薊を怖がらず、彼女にやすやすと支配されない友達が周囲にいれば薊は世紀の嫌われ者などにはなっていなかったはずです。ノリコも自由太もその他のとりまきもクラスメイトも、黒井も、強さがあればいじめや自殺(?)や事故死も起こらなかったので、誰かが悪いのではない、という、薊も含めた全員の結論も納得のいくものでした。
結局はひとりのクラスメイトが亡くなってしまったので、めでたしめでたしとはいきません。薊も、高校生から大学、社会人としての歴史を失いました。でも、戻ってきた薊は、「ムトウさん」と名前を間違えられただけで壮絶な黒井いじめを主導した冷たい女王様としての記憶も、大学生として勉強した記憶も、チームの有能なリーダーとして頑張ったあげくパワハラした記憶も、友人らに嫌われていると知ってショックを受けた記憶も、黒井の体に入っていじめと戦った記憶も、すべて蓄積されているはずです。
これからリハビリを含め、社会復帰には厳しい壁があるはずですが、黒井や自由太をいい友人として豊かに生きていけるだろう、と、思わせてくれる後味のすっきりとした作品でした。