『南京路に花吹雪』は森川久美さんの作品です。1981年から1983年にかけて白泉社の『LaLa』に連載されていました。前年に連載されていた『蘇州夜曲』の続編です。
お話上の主人公は、熱血に正義を追い求め性格が災いして日本の一流新聞社を解雇され、上海に流れてきた本郷義明です。が、実質の主人公は、上海人の黄子満(ワン・ツーマン)です。
ここから先はネタバレしているのでご注意下さい。

いえ、本郷さんは十分主人公のひとりなのですが、当時少女だった私にとっては、黄の煌めきは圧倒的でした。
本郷さんは、列強のひとつに遅ればせながら参画しようとし、同じ亜細亜人であり欧米に侵食されている中国人「非支配階級」と見下して横暴に振る舞う日本に対して、「おかしい」と感じている日本人です。黄は、日本人と中国人の血をひき、日本人からは中国人として差別され、中国人からも同胞とみなしてもらえない、引き裂かれた美青年です。
当時少女だった私にとっては、本郷さんは「元エリートで血の気の多いおっさん」で、黄は「自分にはどうしようもない複雑な文化背景を背負わされ、居場所がなく、それでもシニカルに構えることでなんとか日々をやり過ごしている、とてつもない孤独を抱えた美青年」です。本郷さんと黄は、前作で心を通わせ、良好な関係を築いていますが、物語が進み、日本帝国主義がより一層激しく中国を蹂躙し支配しようとする中で、黄が本郷さんに寄せていた淡い期待と信頼も壊れていき、本郷さんも黄も、孤独を深めていきます。

私がここでストーリーに触れないのには理由があります。
この度心機一転、基本的にすべての書籍と漫画を処分しました。きっかけは、角川文庫で確か絶版になっていた『ダルタニャン物語』シリーズがKindleで読めることに気づいたからでした。これは、読み始めると止まらない勢いのある作品で失いたくなかったのですが、電子書籍で読めるなら、部屋が片付くほうがいいや、と一大決心。ムカシの政治家が亡くなったときのお追従(?)本とか辛くて苦しいけど生き生きと北海道開拓民を描いた船山馨さんの『石狩平野』とか、電子書籍化されてなさそうだけどまた読みたい本を除いて、数千冊を捨てたのですが。まさか森川久美さんが電子書籍になってないとは。とほほ。
というわけで、感想を思い起こすにあたって読み返すことができなかったのでした。
それでも、メインキャラクターたちの印象は鮮烈です。本郷さんのジレンマ、黄の絶望、それから、小此木大佐、文姫、悪役の役回りを振り当てられたジョー。ジョーの髪の毛の描き方がすごく好きだった覚えがあります。
森川さんは「黄の顔に長いまつげを足すのが苦痛で。あれは飾り気の要らない顔です」と言っていたような気がします。記憶違いだったらごめんなさい。でも、黄は、小一時間眺めていられるほどに美しく、その絶望があいまって、荘厳なまでに私の胸に迫ってきました。当時漫画仲間は何人かいましたが、なかでも少女漫画に深くのめりこんでいた友人は、黄が好きすぎて、生まれて初めて、森川先生に宛てて「ファンレター」を書いたそうです。
で、私が夢中になっていたのはもちろん、本郷さんです。当時の私にとっては、本郷さんは、少女の目で見ても「ちょっと青臭い、正論を振りかざす人」です。正論のため、仕事を失い、上海に「来ざるを得ず」、中国人に対する日本人、とくに帝国軍人の横暴を我慢できず、あくまでも日本人としてですが、中国人との対等な関係を願う、普通のおっさんです。
いまなら、本郷さんも決して凡庸ではなく、本来秀でた能力と人格を持つイケメンだとわかります。1巻の表紙をみると、本郷さんも美しく、耽美に描かれています。それでも当時の私には「スーツ=おっさん」であり、美青年黄のあまりの美しさに、本郷さんのイケメンぶりはすっかり霞んでいたのでした。さらに、黄は、厳しいバックグラウンドを持ち、日本人でも中国人でもない孤独、高圧的に振る舞う日本人の血が流れている絶望、シニカルに構えなければ立っていることもできない危うさがあり、お話がすすむにつれて、必死で保ってきた自分の核が、どんどん崩れていく深刻さが滲みます。そういった黄の絶対的な「悲劇の人」ポジションに対して、本郷さんの「自分には何もできない」ことがわかっているやるせない気持ち。その「普通の無力な一個人」さが、私の胸を激しく締めつけ、とらえていたのです。いえ、実際は、本郷さんは全然普通の人なんかじゃありません。
これは、映画『アマデウス』と同じ構図なのですが、天才モーツァルトが天才であることを理解し激しく嫉妬しながらも憧憬し新たな作品の誕生を心待ちにしつつも叩き潰してしまおうとするサリエリを始めとする宮廷音楽家たち。敵視しているのにモーツァルトの作品を指揮するときは真摯に向き合う姿。そしてそれを傍観している観客であるところの自分。
私は、1930年代から戦争前夜に、上海租界という特殊な場所にいた人間でもないし、黄が持つような苦悩もないし、本郷さんのような義侠心もありません。万が一、作品世界に私が入ったら、おそらくは、米国、英国、フランスの租界では「あたし、中国人じゃないもん、日本人だもん」というくだらない主張をして、差別されると憤るくせに、日本租界では中国人を見下して横暴な振る舞いをする典型的な日本人キャラだったんじゃないだろうか、と思います。
そういう思いが、無力だけど正義に向かおうとする、でも、全力を尽くしても自分には何もできないと思い知り、人として黄の支えになりたいと願うけれどなり得ない本郷さんの姿をみると、切なくも苦しい思いに襲われ、せめて、人に優しく、でも常に誠実でいられえう強い人間になりたいと、悶えてしまうのでした。2026年になってもまだ、なりたかった誠実なひとになれてるとは言えないのがなんともはや。