江戸川エドガワ先生の『人間消失』の感想です。高校生の浜田誠は、コロナ禍の抑圧に覇気を吸い取られています。
久しぶりの分散登校では満員の車両に苛立ち、赤ちゃんに苛立ち、赤ちゃんの親に「迷惑。非常識」とガミガミ説教する女性に苛立ち、「お前ら全員消えてなくなれよ」と、心の中で叫びます。
ここから先はネタバレしていますのでご注意ください。

誠は進路相談のことで、教室に残るように担任から指示されます。安井輝夫、田畑靖、そして松岡綾香も同様に残されます。しかし、ひとりずつ呼び出しに来ると言った担任はいつまで経っても現れません。
教室を出た4人は、担任どころか、どうやら世界中に自分たち4人以外、存在しなくなったのだと気づきます。
誠は、もともと自分自身の強い意見がありません。将来は、父が経営する会社をつぐことになりそうな気はしていますが、そのために勉強したいことなどに対する希望はありません。特に、コロナ禍で父の取引先も倒産が危ぶまれ、つぶれてしまえば次は父の会社の番、との気持ちから、父も母も、誠にかまっている余裕もありません。誠にしてのその状況に焦りを感じていないわけではありません。進路相談の書類を出していなかったのも、どうしたらいいかわからないからです。コロナ禍のせいで「なんでも言い合える友達」もいません。誠は焦り、傷ついています。
田畑は、近く行われる柔道の大会にこだわります。4人以外誰もいない世界で、「でも急にみんな戻るかもしれないから」と、稽古に励みます。
安井は、映画製作を目指していて、この状況の下でも勝手な脚本をアタマの中に描いて、ずっと撮影し、クラウドにアップしています。自分を神のように思い、ナチュラルに女性蔑視して、綾香も田畑も誠も見下します。綾香は強く反発し、安井はずっとストレスを抱えています。
綾香は、家に帰りたくない気持ちを3人に強調してくるので、なにか家庭の事情がありそうです。快活で合理的な性格で「誰もいないんだから」と店で見つけた商品に手を出します。必死で稽古する田畑を優しく応援しますが、安井の無礼には徹底的に抗戦します。

自分(たち)以外が消失する物語
自分(たち)以外誰もいなくなる、というシチュエーションは、小説や映画も含めて、わりとよく見る気がします。ジャンルとして確立しているのでしょうか。いまChatGPTに聞いたところ、大まかな傾向がいくつか見られると教えてくれました。
- 「ポストアポカリプス(Post-apocalyptic)」世界崩壊後に、ほぼ誰もいなくなった世界を描くジャンル。
- 「終末もの」日本でかなり広く使われる呼び方。滅亡前・滅亡中・滅亡後ぜんぶ含む。
- 「ラストマン/最後の一人」系“Last Man on Earth” 的な系譜。「自分だけ残った」が中心テーマ。
- 「閉鎖世界・隔離世界もの」実際には世界が滅んでない場合もあるけど、「外界から切り離され、少人数だけ存在する」タイプ。
- 「ポストヒューマンSF」人類消滅後や、人類が少数化した後の文明を扱うSF。
なるほど。で、この作品が上記の分類のどれにあたるかは、私にはよくわからないのですが(3かなあ)、読了して思うのは、江戸川エドガワさんは、「自分が考えられる限り真摯に生きる」ということをテーマにしている作家さんなのかな?ということです。江戸川さんの作品は、『生贄投票』(リンク先では、あらすじを完全ネタバレで紹介していますので、ご注意ください!)を読んでいます。『生贄投票』は、葛西竜哉さんの同名の小説からインスパイアされた作品ではないかと思うのですが、葛西さんの作品がある種のファンタジーであるのに対して、江戸川さんの『生贄投票』は、「現実から一切逃げないで、誠実に生きようともがく」主人公を徹底して描いています。
世界が消えても、人は自分から逃げられない
自分たちしかいない世界で、誠たちは、「どうしてこうなった」との追及を試みることはありません。「本当に他に人はいないのか」を真剣に追求している姿も、少なくとも具体的にはほとんど見られません。「自分たちしかいない世界で何をするのか。どう生きるのか」が、誠たちにとってのテーマになっているように見えます。それを追求する中で、彼らは「状況に応じたまったく新しい生き方、考え方」をするのではありません。社会的な立場としては何かを享受するしかなかった高校生の4人は、世界が消えても、新たな環境に新たな気持ちで立ち向かうのではなく、いままで親や学校や世間に庇護されていた環境で自分の中に抱えてしまった葛藤と闘いながら、自分の立ち位置、自分の生きざまと向かい合うことを余儀なくされるのです。
「他者が自分に無条件で従う」ことで自分のポジションを築きたい安井の行動は、世界に同級生4人しかいない中でそれを実現することの無意味さと、人の気持ちを尊重しない傲慢な態度から、読者である私にとって不快なものです。こんな中で柔道の稽古にこだわる田畑と、田畑の気持ちに優しく寄り添う綾香の姿には、ほっこりとした気持ちを覚えます。でも、田畑の行動は、他の3人にマウントをとる安井の行動とおなじぐらい無意味なものです。なので、安井には反発して、田畑には同情を寄せる自分の気持ち自体、「おかしい」と思えてきます。刹那的に思える綾香の行動、いままで何もやる気がでなかったけれど、極限状態では、最も有効と思える行動をみつけて「キイキイ」行ってくる安井をうけながして、情報収集する誠の態度を見ても、いわゆる「脳がバグった」感覚を覚えます。誠は、仲間を看病するために医学系の指示書をみつけて熟読したり、ケガもしていない自分の腕を「傷を縫う」練習台にしたり、上下水道がとまった世の中でも水洗トイレが機能するように勉強して工作したりするのです。
そういった姿から、私は「江戸川さんは “生きる” をテーマに作品を描いているのではないか」という印象を得ました。
4人の気持ちの動き、衝突、その結果発生する事態、消えてしまった家族への思い。『生贄投票』前半では、かわいい印象が強かった江戸川さんの絵は、後半では「ちょっと耽美系入った繊細な絵」に変わったと、私は感じました。この作品でもその繊細な絵は健在で、尋常ならざる状況で生きている4人の気持ちを表現していく江戸川さんの力量に、圧倒されてしまいました。
「最終話 終わり」とのクレジットが出たあとで続く数ページは、さらにいろいろ考えさせられるものでした。「正解」を出さない、あくまでも読者に考えさせる江戸川さん。やっぱり、上にリストした5つの世界消失ジャンルには収まらない、「生きること」を描いた作品でした。