悪いのは社会だ

『悪いのは社会だ』は、原作 宮崎摩耶さん、漫画 夢弥さんの作品です。幼少の頃に母に逃げられ、社長をやっていたという父もいまでは見る影もなく尾花を散らしています。それなのに、とものりは羽振りがよく、友人たちは彼にたかっています。

マキは優しく爽やかなとものりに惹かれます。友達が「さすがナマポ!」と、とものりを冷やかすのを聞いて不思議には思いますが、あまり深く考えません。

ここから先はほぼ完全にネタバレして、私の感想を述べています。未読の方はご注意下さい。

マキは家庭に恵まれていません。父はいません。母は次から次へと男に入れ込み、マキのこともそれなりに愛していると言いますが、それは娘がいると国から手当がでるからです。

マキは物心ついた頃から、母のところに転がり込んで、母と2人で、淫らで自堕落な生活を子供に見せつけてくる男たちが大嫌いです。だからマキはパパ活はしていても、体は売っていません。嫌悪感から、男性との接触がムリなのです。それでいて、すてられたくないという焦燥感から、高圧的な態度を示されると、すぐに従ってしまう性格になってしまったことを、マキもツラく感じています。

だから最初はとものりのこともイヤでした。でも、少し話してみると、今まで誰も与えてくれなかった「居場所」を、とものりが与えてくれそうな気がしてきます。

ちょうどそのとき、母が「娘が19歳になったから、もう娘の分の行政からの補助金はもらえない」と気づき、いとも簡単にマキを家から追い出します。

とものりは、「悪いのは社会だ」派です。そのため、社会弱者向けのルールを悪用してでも最大限活用して楽に生きていくのがスマートだと考えています。マキが抗不安薬を処方されていることに気づくと、それを未成年に転売することで儲けを得ようと考えます。

マキは、とものりに会って優しくされて多幸感を感じるのですが、多幸感のあとにはすぐにとてつもない大きな不安に打ちのめされます。それを癒すためには、リスカするか、抗不安薬を飲むかしかありません。マキは、本当にとものりを信じてよいのか、不安が募ります。この不安は、抗不安薬でなだめる類のものではありません。

一方、とものりは、借金取りに襲われます。ナマポとは、もちろん生活保護のこと。生活保護で生活しているとものりですが、景気よく友達に奢ってしまうようなお金の使い方をしています。オーバードーズしたい子供に、市販品や処方されらクスリを違法に転売しているのも、遊ぶ金のためです。生保を打ち切られたくないとものりは、当然まともなところからは借りられず、弁護士を頼ることもできず、怪しげな金貸しから借金しています。40万ほどを返せず、のされたとものりを、通りすがりの美女が優しく助けてくれます。とものりは、清と名乗るこの女性に一目ぼれしてしまいます。全力で彼女をおい、デートにこぎつけるとものりの姿を、マキが目撃してしまいます。

とものりの本性に薄々気づいたマキ、清を追いつつも、引き続きマキを喰い物にしようとするとものり。

このあとの顛末は、、、実は作品の冒頭で描かれてはいますが、、、

悪いのは社会だ、子供は悪くない。そのフレーズは、私が子供の頃には一般化していましたが、特に、金八先生以降は、その言葉を、子供が自分の悪事の言い訳に使うようになったように感じています。金八先生がすごく流行ったとき、父にお願いして一瞬見せてもらったのですが、たまたまなのか、いつもそうだったのかのか、金八先生が長々と生徒たちにお説教しているシーンで、何ひとつ面白くなかったし、それこそオトナがつくるニュースっぽい番組で、リーズントにダボダボの学ランを着た男の子たちが「金パッツアンみたいな先生がいない」とインタビューに答えるのをみて「何言ってんの?フィクションじゃん」と思ったのをよく覚えています。今思えば、そのインタビューもヤラセで、テレビがドラマをより流行らせるためのやってたのかもしれません。

その後、この言葉はますます、子供と、子供に迎合したい一部のオトナがもてはやすようになりました。いえ、私も実際、そう思いますよ?高校生が子供かどうかは微妙なところですが、高校生の人格形成に費やされる時期はほぼ子供時代であることは事実です。テーマを大きく広げなくても、「勉強が好きだ。大学で研究したい」と思っても、経済上の理由で進学できない子供、「勉強が好き」と気づくことが難しい環境に育った子供(両親、祖父母が全員勉強嫌いとか)、そういうひとが大学に行けないのは、本人のせいでは絶対にありません。それでも、学歴が職業選択の幅に大きく影響するのは現実で、「社会が悪い」は本当です。でも、ちょっともやっとしちゃうんですよ。

一番下らないと思ったのは、当時45歳ぐらいと思われる弁護士→タレント→政治家の道を辿った子沢山の男性が「日本の社会が悪いのはね、いま70歳ぐらいのオトナのせいですよ!」とテレビで発言したときでした。政治家として、いろいろ辛酸を舐め、様々の圧力を受けた中での本心だったのだろうと思います。でもねえ。40過ぎても「大人(社会)が悪い」って公に発言しちゃうのはカッコ悪いですよね。40過ぎてたら、政治家で要職についてたら、悪いものを是正するのは自分の責任でしょう。まあね。年上の人たちが作ってきた社会の仕組みを、なかなか崩せないでいる強いストレスは、すごく容易に想像できるんですが。

この「悪いのは社会だ」という言葉を効果的に発言できる人は、非常に限られている、というのが私の見解です。子供を含む弱点は、言ってもいいけど、言ったからといって何もいいことはない。大人は、どんな立場にいても、これを言ってしまうと、責任転嫁、無責任に響いてしまう。この言葉は、誰かの権利を護ろうとしている大人が、そのことに無頓着な大人に対して使う言葉だと思うのです。

この表紙を見て思ったのは「この表紙のオトコは、『悪いのは社会だ』を言い訳にして、っていうか本気でそう思ってて、それを理由に悪いことしてのし上がっていこうとするハナシかな」ということと、「手塚治虫さんの、ロックとハム・エッグを足して3対7にブレンドしたようなキャラだなあ(絵柄ではなく、印象)」ということでした。

ロックを思わせるのは多分髪型と悪人、ハム・エッグは、、、なんだろう?歯をガッツリ見せてるとこと眉が下がってるところかなあ。(イラストは、手塚治虫さんオフィシャルサイトに掲載されているものです)

ロックって、手塚治虫さんは、大悪人を描きたいときに(そしてご自分のテンションがいまいちなときに)ついつい主人公ポジにしてしまうキャラ、と身も蓋もないことをおっしゃっていたようなのですが、その意気込みにもかかわらず、私にとってはちょっと小物の悪人に思えてしまうキャラなんです。

で、この作品のとものりくんは、巨悪系を期待して読み始めたのですが、意外と小物なのです。生保の不正支給を受け、自分もまだ20代前半の若さでありながら、未成年の子たちからカネを巻き上げ、マキをコントロールして貢がぜようと企みます。でも、自身の収入源が生保であることを仲間に隠さず、仲間たちに君臨しているのかと思いきや、実際は生保を受給していることも、怪しげな奴らから借金していることも、みんなに大盤振る舞いしていることも、陰で小バカにされています。マキを利用する気は満々ですが、「かわいい部類ではあるけど、男を骨抜きにできる魅力はない」と評価し、売春をさせるようなことは頭にありません。清に一目ぼれすると、生保受給者であることを知られると軽蔑されるかもしれないと怯えながらも、とりつくろうための策も講じず、無防備に清に会いに行きます。

ワルなんだけど、突き詰めたホンモノのワルではないんです。怠惰でモラルが低くて、誰かを喰い物にしようと思っている生粋のクズなのですが、クズ止まりなのです。ウシジマくんみたいな振り切った冷酷さや計算力はなく、ウシジマくんみたいな金融屋の三下に追いかけられて袋叩きにされても、それを出し抜いて借金から逃げてやろうとか、マキを差し出して借金のカタに売り飛ばさせようとか、そんなことは考えないし、清には純粋に惚れてしまって、自分をよく見せるための偽装もせずに会いに行くのです。

さすがに、ロックをとものりを同列にしたのでは、ロックが気を悪くすると思います。

とのもりのバックグラウンドは、シンプルには語られていますが、真偽は不明です。パパが社長だったというのも、マキにいいカッコしたかっただけなのかと思ったのですが、意外にもホントだったっぽいひと言もあります。今のパパは覇気のない、とものりに意見をするでもない無気力なオジサンで、経営者の片鱗もないのですが、経営者であっても経営失敗やそれに伴う「信じていた世界と交友関係の崩壊」に出会ったひとが、そのような生活態度に陥ってしまってもムリもないのかもしれません。

この作品は全3巻で、それぞれ150-160ページ程度の、比較的短い作品です。とものりくんのバックグラウンドは、ひきのばそうと思えば、内容が薄まることもなく描写できていたのではないかと思います。でも、それをしなかったのも、潔いのかもしれません。決して描けないから描かないのではなく、描く力は十分あるけれど、宮崎さんが描きたかったのはそこではない、という印象を、何故か持ちました。テーマに沿った周辺を、どこまで掘り下げるか。それは、特にこういう重たいテーマを扱った作品をつくるには、とても重要なことだと思います。清さんが、とものりとのデートに応じるところや、実は生保受給者であることを、嫌悪感なく受け入れている様子などは、掘り下げようと思えば、いくらでも掘り下げられるシーンだと思います。でも、宮崎さんと夢弥さんは、実は暗くて重いテーマを扱ったこの作品を、マキととものりを使って意図的に、とっつきやすい作品として提示してくれた気がします。

マキは、自分の経験から、男性に幻滅しています。だから、ママに家を追い出されてピンチになっても、キャバクラ嬢になるとか体を売るとかの選択をしません。マキがその選択をとれないことで、とものりから搾取される立場にはまっていくことに説得力があるし、マキが「とものりくんなら全然いやじゃない」と思うシーンで、ママに捨てられたマキの依存先がとものりになってしまったことも、端的に表現されていました。

私がこの作品で一番好きなのは、最後に、マキちゃんに、心の変化が見られたことです。マキは、幸せを感じるとその直後に不安を感じ、リスカをすることで気持ちの平安が得られること、それは「ママにとって世間体が悪くて、ママを傷つけること」と認識しています。だから、行きたくないけど、心療内科に通って抗不安薬をもらっていました。でもそんなに大切だったママに、「もう行政からカネをもらうための口実にならないから」という身勝手な理由で、マキは捨てられちゃいました。そして、次に信じたとものりくんのことは、自分が刺してしまいました。(いえ、これはネタバレじゃなくて、作品自体、女性が男性を刺して、「5ヵ月前にこの男に出会いさえしなければ」という言葉から始まるんですよ。)

親に、ゴミでも捨てるように捨てられた子供が、たとえ成人(19歳)していたとしても、その心に受ける大きな傷は想像することもできません。親から得られなかった愛を、恋人で代用しようとする人間は多いと想像します。だいたいは、それはうまくいかないんじゃないかと思います。恋人とか配偶者は親じゃなくてパートナーだから。配偶者の親が、親代わりの愛情を注いでくれるケースもあるかもしれませんが、普通は難しいですよね。

でも、とものりを刺したあと、マキは、真心をもって接してくれる人たちと出会えたようです。母は、相変わらず、まったく寄り添ってくれないようです。でも、マキは「悪いのは社会だ」というテーマに対して、自分なりの答えをだしています。

「悪いのは社会だ」と、うそぶいていたとものりがどんな結末を迎えたのか。それも、はっきりと描かれています。

社会の一員として責任転嫁せずに生きることを選んだマキの姿は、教訓モノっぽい雰囲気があるといえばあるのですが、読者を暗闇に閉じ込めないでくれた作品に、感謝です。

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