タンペンシュウ第一集

『タンペンシュウ 第一集』は落合裕介さんの作品です。その名の通り、落合さんの短編集の1巻目です。

落合さんは意図的に第一集と名付けたそうで、ご予定どおり、第二集もすでに発行されています。第一集に収録されている作品のタイトルは、巻頭から順番に『ヒトデナシ』『ホシガリ』『ヒトノメ』『ココロノコシ』『リフジン』です。

ここから先は『ヒトノメ』について完全ネタバレしていますのでご注意下さい。

タイトルと表紙を見ただけで、重そうな気がしてきますが、実際重たいお話が続きます。今日は、『ヒトノメ』についての感想をお話させていただきます。

この作品を読んでみようと思ったきっかけは、もちろん、表紙の人物の目です。まずは、多分男性の顔なんだろうなー、とは思うのですが、表紙からは性別の断定はできません。年齢は多分、大人なんだろう、と。でも、この青い人物が、幼くして辛酸を舐め、既に何にも期待せず諦観した少年なのだ、と言われれば「そうなのか」と思います。この表紙に描かれた人物は、高度にアノニマス化、誰でもない人物化され、決して読者に親近感を期待していない人物に見えます。

瞳の中に光を入れないことにとって、人物のうつろな気持ちを表現するのは漫画として一般的な手法ではありますが、落合さんの描く人物は、視線、顔にさす陰、下がった口角などで、底のない暗闇を抱えているように見えます。

それがまさにどストレートにメインテーマとなっているのが『ヒトノメ』です。

ひとを殺めて10年ほど服役していた恵一。実家に戻ると、母は病でとうに他界し、父は漁船を売ってしまっています。父の船に乗って生計を立てるつもりだった恵一でしたが、止むなく町役場を訪ねて地域のためになる仕事はないかと聞いても、役場のひとは暗い目を向けるだけです。幼馴染と話せば、、ここにはもう来るなと言われます。父は食事を用意して話しかけてはくれますが、目は合わせてくれません。町の誰もが、恵一にはあの暗い目を向けてきます。

寺の住職は「人はやり直すことはできる」と受け入れてくれます。恵一は、小さな希望を見た気がします。しかし、町に車上荒しがでると、町民は恵一が犯人と決めつけ、寺に抗議に来ます。恵一が犯人だと示す証拠は何もないのに、です。恵一は、罵ってくる彼らの目に圧倒され、ひとつの結論を出します。

町民は、恵一をただ人殺しだから恐れているのではなく、恵一を見ると、自分の中の暗い何かに触れてしまって恐怖しているのです。全員がそうではないかもしれない。でも、恵一を知っている人ほど、10年かけてやっと忘れた何かを思い出してしまうのです。それを見たくない。だから、恵一を受け入れられない。嫌悪感しか抱けない。

恵一の友人は「理由はともかく」と言っていたし、恵一は、地元でなんとか食っていけると思っていたようなので、彼が犯した罪には、何か情状酌量できる事情があったのかもしれません。地元の人であれば、状況を分かってもらえる、と恵一は思っていたのかもしれません。

恵一も友人は「自分が向き合いたくないものをせつけられる。それがムリだ。」という意味のことを言っていたので、恵一の犯行に、どこか自分の気持ちを重ねそうになってしまうところがあったのではないでしょうか。それは、町で車上荒しが出たときに「殺人を犯せる人間なら車上荒しもするに違いない」「寺が犯罪者を支援してるなんて許せない」という意図で、寺に糾弾にきた町の人の気持ちは、おそらく違ったと思います。

住職は、受け入れて、自分が真心を尽くすことが、周囲を変えるかもしれない、と示唆して、恵一の心に希望の燈火をつけます。

でも。ヒトノメは、希望を持つことを許してくれない。そう感じたとき、なにができるのか。そこは、人それぞれの選択です。

Renta!では、感想を書き込むことができます。この作品については「もっと踏み込んで描いて欲しかった」という意見もいくつかありましたが、私はそうは感じませんでした。描写をしすぎないことで、読者が自由に想像して、この作品が訴えることを解釈でみる場を、落合さんが意図的に、読者に与えていると、私はそう感じます。

タンペンシュウの表紙を「アノニマス」に描いたように、落合さんは、表現のノイズを取り払って、読者の胸に、まっすぐに語りかけている気がします。光の入っていないうつろなはずの目が、人間として私が何をどう捉えてどう感じるかを見極めようと、じっと見つめている気がします。

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