『パッカ』|瑞々しい、高校生の恋愛。だけどなんかひっかかる。

今井大輔さんの『パッカ』は、幼なじみの水泳部女子部のエースに恋する水泳部の少年が、ひとり泳いでいるときに溺れてまうところからお話が展開します。

中学生のときはエース選手だったケイ。高校でも鮮烈なデビューを飾るはずだったのに、一年センパイで、小学生の頃に一緒にスクールに通っていたサキに、追いつけません。オレの実力は女子選手においつけないレベルなのか、とショックをうけるケイですが、それでも意を決して「競泳して、オレが勝ったら付き合ってくれ」と、サキに告白します。まんざらでもなさそうなサキは照れながら「私が負けたら考える」と答えます。

意地でも負けられなくなったケイ。ひとり朝練で、ただただ「速く」と念じつつ水をかいているとき、水が突然粘土のように重くなり、ケイは動けなくなってしまいます。

以下、ネタバレを含みつつ感想を書いています。ご注意下さい。

絶体絶命のプールの中に飛び込んで、いきなりキスをしてきたのは、同級生のシズク。水泳部の落ちこぼれとして部員たちから可愛がられているシズクは、水の中でのキスによってケイを変質させて、ケイを助けます。

キスで助かる?なぜ?変質?

実はシズクが河童なのです。溺れるケイを助けるために、河童の尻子玉ならぬ知古魂を分け与えて、ケイのことを、水の中では無敵の河童にしたのです。

河童になったケイは、乾燥するとウロコが生え、河童の姿に変わってしまいます。人間に戻るには、河童の沼の水を飲むか、シズクに口づけしてもらうしかありません。

そこから、ケイとシズクのヒミツの関係がはじまります。

今井大輔さんの作品

この作品を読んだキッカケは、今井大輔さんの別の作品『恋の奈落』と『恋と地獄』を読んだことにあります。どちらもオムニバスで、大人の恋愛にまつわる、ドロドロしたゾワゾワするお話です。イヤさがクセになってどんどん読んでしまう作品ですが、完結していないので「完結している今井大輔さんの作品を読んで感想書きたい!」と思って探した中で、もっとも関心を惹かれたのがこの『パッカ』でした。

探す過程でみつけたのは『ヒル』と『クロエの流儀』。どちらもRenta!上で、かなり評判を博した作品のように思います。前者は、不正に入手した鍵を使って住民が不在の家を渡り歩いて生活する女の子のハナシで、後者は日本の高校に通う、サムライ好きのフランス人の女の子が世の中に物申すお話です。

私も、どちらもすごくおもしろい!、と思いました。でも何かモヤっとするものがあって、そのときの私にはこれらの作品はそれほど刺さりませんでした。でも、『恋の奈落』や『恋と地獄』で感じた「人間のイヤな感じ」は、少なくとも『ヒル』にもどこか通じるところがあって、なぜか「ああ、この作家さんかあ!」と納得してしまいました。

一人暮らしを体験している私には「自分が不在の時に、そこをに入りこんで自由に生活している人がいる」というのは、非常に身近なホラーです。実際にそんなことは起こらないとは思いますが、一人暮らしの人の多くが、そのホラーを妄想して怯えたたことがあるのではないでしょうか。おもしろいと思いつつ読み進めることができなかったのは「ホントにあったらあまりにもホントに恐ろしくて不快なホラー」だったからのような気がします。

『クロエの流儀』のほうは世の中に物申す系の切り口で、私が女子高生だったら、ハマったかもw 中高生のころ、サムライにあこがれてたしwww 望月三起也さんの『俺の新選組』の土方歳三をかっこよいと思ってたようなウロ覚えがあります。 

『パッカ』に話を戻します。パッカは、私にとっては上記に挙げた今井さんの作品とは、かなりテイストが異なる印象があります。

河童が、しなやかで美しい

基本的には、ピュアな水泳部員たちの瑞々しい恋の物語だと言ってもよいでしょう。河童という設定はファンタジーですが、それ以外はリアルな高校生の生活を描きます。イヤな人は誰もいなくて、ケイ、シズク、サキ、サキに惚れてる先輩、アクのつよい部長、何故かケイにめちゃくちゃ寄り添ってくる明るい同級生、シズクの子分、シズクの母に惚れていたというジイさん。みんなとっても個性的で魅力的です。

河童になったことを知った瞬間からとまどいやショックを示すよりも、シンプルに人間に戻りたいとつぶやくケイと「えっ!?戻りたいんですか?」と驚くシズクとか、めちゃくちゃ可愛いくて、まだ冒頭なのにギュッと抱きしめたくなっちゃいます。サキやケイの恋愛感情のうごきも、ピュアで可愛くてドキドキハラハラするし、シズクの無邪気さにもキュンキュンするし、ジイさんのムカシの「恋する男」としての男気にもやられちゃいます。

ケイが自分の気持ちの動きをハッキリと把握する描写も、「読者を面白がらせてやろう」とか「感動させてやろう」とかの意図があるようには見えず、素直に描かれているのが最高です(実際は無邪気に描かれたわけではなくて、高度に計算され尽くして作品として昇華されているんでしょうけれど。)

素直で胸キュンな高校生の恋愛感情を描いた作品として常に私の引き出しのトップにあるのは、瞳ちごさんの『隣の席の、五十嵐くん。』ですが、『パッカ』も瑞々しい純愛の物語に分類できると思います。

なのに、私が今井さんの作品を読むと、やっぱりどこか「ザワザワ」を感じてしまうのです。今井さんの描くカッパには、妖怪としてのキモチワルさはまったくなくて、オシャレでクールです。シズクちゃんの本拠地は、おそらくは人里離れたところにあるのだと思うのですが、河童になったシズクちゃんには、なんとかく都会的な無機質な空気が漂います。シズクちゃんは、ケイくんの前でいきなり全裸になるので、ケイも私もビックリするのですが、気づいたときにそこにいるのはハダカンボの生々しい少女ではなく、どことなくシルバーを感じさせる美しい生き物です。どこにも不気味さもドロドロもありません。過度なセクシーもありません。

なのに、この読み終わったときに感じたのは、単純な「かわいかったー」「ピュアだったー」「やっぱ恋愛っていいー」とかではなかったんです。(あくまでも個人の感想です。)

ラストの展開には、多分賛否あると想像します。美しくまとめるにはそれしかなかった、そうでない決断を登場人物たちがすると、多分グダグダになるだろうなあ、と思います。少し寂しさと余韻を残しつつ、ピュアな愛情を描いた素敵なラストでした。

でも何か「キュンキュンしちゃった!」だけでは終わらない何かが、私のなかに残ります。それが「今井大輔さんらしさ」なんじゃないかと私は思うのですが、でも違うかもしれませんw

恋物語の、好きなところってなんだろう

恋物語には「そしていつまでもいつまでも幸せに暮らしました」ラストってものがあります。よく引き合いに出す『隣の席の、五十嵐くん。』ですが、実は私は最後まで読んでいません。というか、この作品は、いまも絶賛、連載中です。長期連載中の人気作品なので、いまも、誰もがキュンキュンしちゃう素敵なストーリーが展開されてるにはちがいないです。でも、五十嵐くんと椿ちゃんが付き合い始めて、しかも五十嵐くんが男気を見せて椿を守ってくれるところを見て、私の中で椿と五十嵐くんへの関心が薄れちゃったんです。作品がかわったのではなくて、あくまでも私の今の関心のせいです。

ほかにも、たとえば、加納梨衣さんの『カノジョは今日もかたづかない』とか、めっちゃくちゃ面白くて、3巻まで夢中で読みました。美人でデキる社会人で、誰かのステキな恋人でもある「あいな」が、実は部屋のかたづけが大のニガテの汚部屋女子。でもよりによって、なんとなく気があわない同僚の深川さんに、あいなが「実はかたづけができなくて、彼氏とのデートがお流れになっちゃうと部屋の外にいてもつい涙をこぼしちゃう、普通の(掃除がニガテという意味ではスペックが低いともいえる)女子」であることがバレてしまうこと、そして彼氏とのすれ違いの一部始終を深川さんに把握されてしまうというプロセスと、作中でも「美女」と認定されているあいなのルックスに、ドはまりしました。「あいなはいずれ深川さんを好きになってることに気づくんだろうな」と思って読んでる間は、ものすごくキュンキュンして読んでました。でも、3巻の最後に「あいなちゃんって、完全に深川さんを好きになってるよね。じゃあこれからは、深川さんとの間で起こる出来事へのキュンキュンに、ハナシが変わるんだろうな」と思ってしまったんです。そう思ったら、4巻を買う意欲が失せちゃって。あ、そのあと読んでないので、そんなストーリーが展開されたのかどうかはわかりません。とにかく、3巻まですごくおもしろかったので、恋愛を読みたなら、4巻以降も絶対におもしろいはずです。

私は多分「こんなにかわいくて彼氏を大好きで、でも汚い部屋をみられたくなくて全力で愚かな綱渡りをしちゃう」あいなちゃんと、その「絶対に隠したいこと」を、ウマはあわないけど意外と信頼できちゃう深川さんには知られちゃってる、というスリリングなシチュエーションに、キュンキュンしていたので、「すでに本性を知られている深川さんとの恋愛」にはそんなに関心をもてないのでした。

ああ、めちゃくちゃハナシがそれちゃった。

心の中の「ひっかかり」

『パッカ』には、「そうしてふたりはいつまでもいつまでも幸せに暮らしました。」というラストはありません。誰かが死んじゃうような悲劇による別離も存在しません。ただ最後、ケイの心に、チクリとしたものが残ります。ケイはまだ高校1年生。ケイくんがたとえ、このストーリーのラストで誰かとカップルになったとしても、そのひとと一生添い遂げるとは限りません。高校生だった私がこのラストを読んだとしたら、ケイの胸に刺さった何かに、自分も「チクリ」としたものを感じたのではないかと思います。ケイの将来に思いを馳せることなく、今のケイの「ひっかかり」を、美しく切ないキモチとして全力で愛せたかもしれません。

でも「ピュアでかわいかったー」だけで終わるには、私って、歳をとりすぎてしまった。高校生のときにできたカップルが、一生愛し合って家族として成長していくこともあるし、せっかく結婚したのに憎しみ合って別れてしまうこともあるし、大学生になって自然消滅したあとにお互いパートナーがいても信頼できる友人のひとりになることもあるし、シンプルに疎遠になってもう2度とキモチが交差しないこともあるし、、、長年いきてきた経験(笑)から、私は容易に想像することができます。そのことが、私を純粋な感動から遠ざけています。

経験豊富(笑)な私が想像するに、ケイの胸にできたひっかかりは、おそらくこれから一生、折に触れてケイにユラギをもたらします。

ムカシ友人が書いた戯曲の中に、「みんな心の中に、何かのひっかかりを抱えている」「そのひっかかりに鎖をかけて、ひととひとを繋げよう」という表現があります。『パッカ』を読んで、この戯曲を思い出しました。ケイが抱えたひっかかりは、この作品の中でケイが経験したことで、ケイの中にできたひっかかりです。でもケイはこのひっかかりにかかっている鎖の先が何と繋がっているかを、覚えていないのです。いつかそれを思い出すことがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。でも、思い出せなくても、ケイの中にそのひっかかりはずっと残って、思い出せないまま、新しい何かに繋がっていく。あるいは、気づかないまま、本来つながっていたものを、それと知らずにまた引き寄せるかもしれない。そのひっかかりが、必ずしも、幸せと繋がるとは限らない。何か暗いものと繋がってしまうこともあるかもしれない。

『パッカ』には、暗さを示唆する描写は一切ありません。なのに、私の実体験や、友人の戯曲のような他人の創作が、幸せにも不幸にも、あるいはそういった色のつけられない衝撃的な何かが、ケイのひっかかりに繋がっていくかもしれない、という妄想が、読後すぐにパーっと湧き出てしまいました。

なんだろう。普段そこまでは妄想してないと思うんだけどな(いや、してるのかもしれませんが。自分のことって、自分ではちゃんと把握できてなかったりします)。今井大輔さんの作に漂う何かが、それこそ何かのひっかかりとして、私の中にのこったような気がします。

トシヨリになった自分だからこそ、味わいが勝手に深まる、瑞々しい恋物語。でも瑞々しさだけではない。とっても好きな作品のひとつになりました。

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