兄だったモノ | 女子高生の恋の物語なんだけど、向き合うのは胸キュンじゃなくて執着心

マツダミノルさんの『兄だったモノ』は、真夏の広島から始まります。むせかえるような中、鹿ノ子は、兄である騎一郎の恋人だった男性、聖と共に、墓所にいました。最初から、なにやら濃密な空気が漂っている作品です。

鹿ノ子は、騎一郎が命を落とす前に、広島のふたりの家を訪れていました。見る影もなく痩せてしまった騎一郎は鹿ノ子に「俺とお前は根本的な部分がよく似ている。だからきっとお前も聖を好きになる」と言います。

ここから先は、ネタバレしつつ感想を述べていますので、ご注意ください。

春先の騎一郎の葬式のとき、騎一郎の両親は、聖が会場に入ることすら許しませんでした。鹿ノ子は肩を落として広島に戻ろうとする聖を追いかけて、遺骨の一部を渡しました。そして、夏になった今、聖を訪ねてきたのです。一緒に過ごし、再訪を約束し、玄関口で聖に別れを告げる鹿ノ子の目にうつっていたのは、異形となりはて、聖にしがみついて「トルナ」と、鹿ノ子に釘をさしてくる兄の姿だったのです。

鹿ノ子は、母に愛されていませんでした。言葉によって激しく傷つけてくる母から、いつもかばってくれるのは騎一郎でした。騎一郎はさわやかなイケメンで、誰からも評価が高く、優しく、でも、聖と付き合い始めるまでは、女性をとっかえひっかえしていた男性。それが、緑の目をして、聖に執着するおぞましいモノになってしまった。ところが、鹿ノ子は動揺しつつも、何か兄らしい顛末だと感じ、実際兄と自分はよく似ている、と感じます。騎一郎の元カノのひとりである南さん、南さんが引き込んだ「見える」副業住職である藤原さん、聖の昔の恋人のひとりで、なぜか聖をいたぶろうとする西迫(さいさこ)、聖のだだ漏れのフェロモンで誑し込んだ、聖の担当編集者である犬上も巻き込んで、異形の兄と人々の戦いが繰り広げられます。

マツダミノルさんの線が私に思い起こさせるのは、手塚治虫さんの『ふしぎなメルモ』です。(いや、他の方はそこに共通点を見出さないかもしれませんが。)いま、『不思議なメルモちゃん』って書こうとして念のため調べたら、『ふしぎなメルモ』でした。ずーっと「メルモちゃん」だと思ってたんですが、手塚さんが敢えてタイトルで呼びすてにしていたことに、単なるかわいこちゃんとして描いていたのではなかったのかな、と感慨があります。メルモちゃんを読んだときの私の年齢では、キャンディを食べると大人になったり子供になったりする、のは理解できたのですが、キャンディの配合を変えると動物になる、というのはちょっと難しかったですw。うろ覚えで申し訳ないのですが、動物になるためには青と赤のキャンディを削ったりして、単純な1:1じゃない配合をするのですが、それが子供心にも「ご都合主義」と思えてしまったのでした。当時ご都合主義という言葉もコンセプトもわかっていないのですが、「配合変えたら動物にもなれるなんてわくわくする!」とかじゃなくて「動物にも変身できた方がおもしろいのはわかるけど、その設定は明らかに最初にはなかったし。絶対なんらかのテコ入れでやってるはず。」と思ってしまったんですね。「テコ入れ」ってコンセプトも理解してませんでしたが。幼児もいろいろ感じるので、子供向けの作品づくりも大変です。(メルモちゃんで、動物になる仕組みをおもしろいと思った幼児のほうが大多数だったと思います、念のため。)

というわけで、手塚治虫さんみを感じつつこの作品を読んだのですが、イラストの線だけでなく、鹿ノ子も聖も、素直な男女ではなく、一筋縄ではいかないところも、ブラックなほうの手塚さんみ、ぞわぞわを感じされられました。この「ぞわぞわ感」は作品の根幹で、どう見てもはつらつとしていてかわいい鹿ノ子ですが、時に不気味に描かれていて、異形になりはてたお兄ちゃんに対して残酷な気持ちも持ち合わせています。聖には一目ぼれしているのですが、鹿ノ子は決して聖を聖人化してあがめていません。聖も、鹿ノ子の恋心に、結構厳しいことを言ったりします。そして、異形となっている騎一郎の気持ちも複雑です。騎一郎は生前から、聖にも鹿ノ子にも執着していましたが、異形となった今では、聖に対する執着により強く支配されています。鹿ノ子を100%敵視しているわけではないけれど、もし聖以外の関係ない人間が鹿ノ子を愛し、鹿ノ子もその人物に心を奪われたとしても、騎一郎は鹿ノ子には執着はしないだろうな、と感じます。

聖人として聖をあがめているのは犬上です。敵のように現れたのに、実は一番純粋に、聖に片想いしているのは西迫です。鹿ノ子自身、複雑な生い立ちを持っていて、そのせいで母から理不尽な扱いを受けているのですが、それに対して純粋に両親を恨んだりするのではなく、父のことはもうほぼ考えていなくて、母のことはどこか冷たい目でみています。それが母を余計に苛立たせるし、「なんで私の大切な騎一郎が死ぬのだ、要らない子の鹿ノ子が死ねばよかったじゃないか」みたいなことを叫んで、読者(私)のヘイトを一瞬買ったりします。でも、そんなことを言われた鹿ノ子が傷ついて悲しむとかではなく、どこか醒めていて、そんなことを言ってくる母のことより、ずっと自分をかばってくれていた生きていたころの兄のことと、いま異形として「聖をトルナ」と憎しみをぶつけてくる兄のことを考えているので、私にとっても母はある種どうでもいい存在になってしまいます。鹿ノ子はまだ高校生で、しかも多くの場合制服を着ているので、母の加護の下に生活をおくらなければならず、母の存在、母との確執は、ストーリー上も重大な問題なのですが。でも、母との確執は、ストーリー上は鹿ノ子が聖と一緒にいるための大義名分となっていくのが不思議な感じでした。読者として、ストーリーに無理を感じるのでは決してなく、鹿ノ子が、実家の東京から遠くはなれた広島に拠点を持つ聖といるのが自然な状態として感じられるようになる、という意味です。

そういう意味で、騎一郎が自分を愛していなかったことをわかっている南さんや、関係者でもないのに異形が見えてしまう藤原さんのほうが、読者にとって感情移入しやすい登場人物なのかもしれません。鹿ノ子ちゃんに感じるのは、一貫して執着心です。女子高生の恋心に感じるのが、胸キュンとかではなく、執着とかマウントとかだというのが、すごくおもしろかったです。私は、胸キュンも大好きで『隣の席の、五十嵐くん。』なんかが、そのタイプの作品だと思うのですが、鹿ノ子ちゃんは、お兄ちゃんも聖さんも美化することもなく、お兄ちゃんの聖さんに対する執着心も、自身を餌にして他人を動揺させることを楽しんでいる聖さんの性格も、冷徹に把握しています。聖さんに一目ぼれしてしまった自分のことも把握しています。自分の気持ちを聖に伝えたいというよりは、聖に執着する異形の兄、兄に執着する聖、聖に執着する西迫など、みんなの気持ちも利用してどうやって聖のそばに自分の居場所をつくるか、ということに執着しているように見えることがとても面白かったです。でも、これは、私の読みが浅いからそう感じてしまっただけで、実際はもっと深い感情の動きが表現されているのかもしれないので、未読の方は是非、ご自身で読んでいただきたいです。

実際、兄との闘争が落ち着くと、鹿ノ子と母との関係も変わっています。兄、聖、自分の、相手に対する思いや自分自身の気持ちを制御するための戦い、そして、それよりはちょっとプライオリティ低く、西迫、南、犬上の気持ちのうごき、騎一郎との闘い(?)と通して「自分が見えてしまうことの意味」を探りたい藤原の行動を通して、鹿ノ子の中で何かが大きく変わったことが示されています。でも、あれだけの死闘を繰り広げた後で、何かが決定的に変わったのではないことが示唆されるラストシーンが、現実味があってすごく好きです。結局執着心なんて、解消されるものではないのだ、鹿ノ子には、それとつきあっていく覚悟があるのだ、というのが、「人生って、生きている限りずっと続いていくのよ」的な説得力があります。うん?いまこう書いてわかったんですけれど、「生きている限り」ではないんですよね。だって、騎一郎はもう死んでるんだから。うわあ。この感想を書き始めたときに思っていた以上に、オカルト作品なんだと思い知りました。

この作品の最終巻である10巻には、外伝が収録されています。(不思議なことに、この外伝には、メルモちゃんみはまったく感じませんでした。オカルトみが強い作品なので、正しく『外伝』という印象です。)そして、11巻として、ファンブックが刊行されています。個人的に、以前はそんなことなかったのですが、完結していない作品の巻末に収録されているおまけマンガがあんまり好きでなくなっています。私なりにつくった世界観が崩れてしまうことがおおいからです。『十字架のろくにん』のおまけ漫画は大好きなんですけどね。作中ではシリアス一辺倒のじいちゃんが、意外と孫に寄り添おうとしている(すごく表面的な意味で)のとか、大好きだったのですが。昔はマンガを雑誌で読んでいたので、連載中の漫画は、次の号がでるまでに何度も何度も読んで思い入れをすごく強くしていました。だから、人格が変わるほどのおまけマンガも気分転換になって好きだったんですけれど、最近は Renta!上で、完結した漫画を一気読みすることが多いので、人格変わってたり、舞台裏を紹介されたりしちゃうと、私の中に構築されかけている世界観が崩れちゃうので、あんまり好まないのかもしれません。でも、こうやって、作品が完結したあとにまとめてくれて、作品世界を補強してくれるファンブックは大好きです。

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