『名状しがたい彼女と、あの頃臆病だった私の話』はむらきたまりこさんの作品です。真由はクラスでは伊之瀬に目をつけられて孤立しています。伊之瀬の父の運転する車にひかれかかったことを「当たり屋」と揶揄されているのです。幼馴染の義信が気を遣ってくれますが、真由はさしのべられる手を振りほどいて孤立を深めます。
そんななか、真由は旧校舎で不思議な少女に出会います。
ここから先は、完全ネタバレで、私なりにあらすじをまとめ、そのあと感想を述べています。ご注意下さい。
少女はこの世のものとは思えない化け物を使って気に入らない相手を屠ります。不良たちに襲われた自分を化け物で助けてくれたこの少女、麗と真由との間には友情が芽生えます。
麗は、不良だけでなく気にくわぬものは誰であろうと操って眼の前から消そうとします。義信もひょんなことから麗に疎まれ、幻虫をつかって正気を失わさせられそうになりますが、ネコによって助けられます。ネコは少女に姿を変え、猫の神様、バーストであると名乗ります。
麗は伊之瀬も幻虫であやつり正気を失わせます。真由はそんな麗にどうしようもなく惹かれていきます。
麗は真由に、協力させて市内に呪いの印を貼り、真由に呪文をとなえさせます。すると印のそばにいた見もしれぬ人々が命を落とします。でもこの呪文は失敗。麗は他人の命を使って死んだ父母をいきかえらせようとしていたのでした。いつの間にか共犯にさせられてしまった真由ですが、気持ちはしっかり麗にむかっています。
真由は麗に言われて、ある店に呪いの本を取りにいきます。そこで出会ったソフィアは呪いによって視力を失うかわりに永遠の命を得ていました。ソフィアは真由に、麗にこれ以上人を殺させてはいけないと説明し、真由は迷います。
真の友人なら麗に過ちを犯させてはいけないと決心した真由。呪いの本は完全ではないと知りつつ麗に渡し、麗を手伝いますが、麗は本の呪いに効力がないことに気づきます。もし呪文が本当なら真由も平気でいられるはずがないのに真由が平然としているからです。「友達だからとめる」と言う真由に麗は幻虫を使おうとしますができません。
麗は結局暗黒神ニャルラトホテプから正しい呪文を聞き出します。しかし、真由と通じたソフィアがその邪魔をします。麗の暗黒の呪文でソフィアはついに命を落としますが、真由の説得にひるんだ麗をバーストが殺し、麗は目論見を果たさず命を落とします。真由は麗に好きだと告げ、麗も真由にキスしてこと切れます。
数年経って大人になった真由を、義信は「病んでないか?」と心配しますが、真由は笑います。しかし真由は麗から魔力を引き継いでおり、その目に映るのは悪鬼がはびこる世界であり、ニャルラトホテプと出会う世なのです。
冒頭は旧校舎で不良たち(今の言葉でなんていうの?)にからまれる麗と、麗が付き従える異形のものにひきつけられました。これは私がよく知らないクトゥルフ神話の化け物(?)と思い、クトゥルフを知らない私が楽しめるかな?というのがちょっと不安でしたが、結果からいうと楽しめました。とはいえ、知っている方のほうが楽しめるのではないか、というのはラストシーンを見て思いました。真由が麗から受け継いで見ている世界がどういうものなのかは、クトゥルフを知っているほうが上手く想像できるのではないかなー、と思うからです。ニャルラトホテプやバーストがどのような存在なのかも把握していたほうが物語を深く楽しめるのではないかと思います。
でも、先に書いた通り、知らなくても十分楽しめます。麗が他の命を使ってパパとママを生き返らせようとすえうろころでは『ナナシーナくしたナにかのさがシかた』を思い出させるところがちょっとだけありました。麗は生きている人間を殺めて望みをかなえようとしているところが、死んだ何かから母を蘇らせようとしているナナシとは違いましたが。
また、真由が麗を誰よりも大切な友人と思い詰めていくところと、麗が支配的に振る舞うところは『煉獄少女』を思い出させます。もちろんクトゥルフというこでは『イケニエ屋』も共通点がないではないですが、ストーリー上はイケニエ屋とはまったく関連のないお話です。
濃密な友情関係という観点からすると、もうちょっと濃いところ欲しかった気がします。真由は伊之瀬にいじめられていて孤独ではあるのですが、せっかく手を差し伸べてくれる義信の手を振り払うのだったら、実は伊之瀬さんが義信を好きで、義信と仲良くしてるとますますいじめられてしまうので、距離を置かざるを得ないのだとか、何か理由があるとよかったと思います。また、伊之瀬以外の他のクラスメイトにも疎ましがられているとかあれば、麗だけにのめりこんでいって二人だけの世界を大切にしたい気持ちがよく表現できた気がします。
麗を思いながらもソフィアの言葉を信じ、本を託してくれるソフィアの信頼にも応えたいという葛藤は、真由がとても素直な良い子であることを表していて、その素直さも十分に魅力ではあったのですが、麗との絆がもっと濃いと、さらに際立つ感じがします。
麗の真由に対する気持ちは、パパやママへの気持ちに比べると二の次なのですが、それはそれでもいい感じでした。パパがかつてママを生き返らせようとして失敗して命を落とすシーンがとても印象的だったので、なんとしても両親を、というよりはパパを生き返らせたい、そしてパパが望んでいたとおりママをも生き返らせたいという気持ちはとてもよくでていてよかったです。
そして、呪文を唱えれば真由も安全ではいられないことをわかっていながらも真由に唱えさせ、実際にダメージをくらわない真由を見て不満に思ったりするくせに、真由に幻虫を使おうとして使えない微妙なレベルの愛情が、なんかよかったです。
真由は、伊之瀬市議に謝られたり、伊之瀬が意識が戻らない様を見たり、母も辛いのだと思いやったりするなかで、自分を、そして麗との友情のみを大切に思う気持ちから少し広い視野を持って、そのことに思い悩んだりする様もよかったです。惜しむらくは幼馴染の義信のことは何故か頼りにもしなければ思いやりもしなかった点ですかねえ。いや、思いやってるのかもしれないけど、なんだか私の印象には、義信ばかりが真由のことを思い、真由は「義信はおいといて」と扱っている感じが残ってしまって謎でした。
タイトルの「あの頃臆病だった私」というのは、最後まで読んでわかる気がします。というのは、麗と最後のキスを交わしてから、ずっとクトゥルフの世界にいる真由は、臆病なままでは生きてこられなかっただろうと思うからです。世の中に悪と決めつけてしまうことのできる人間なんていない、人間には自分には見えないかもしれない多面性がある、と気づいた上で、他の人を沢山死なせてもパパとママにもう一度会いたいと願っていた幼い親友の死を乗り越え、その親友が見ていたクトゥルフの世界を見ている真由はどんな気持ちでその状態を受け止めているのでしょうか。自分が望めば麗を生き返らせることもできるけれど、そのために人を死なせたりはしたくない真由。でも、見ている世界が他の人とは違う故に、幼馴染にであっても本心をわかちあうことができなくなってしまっている真由。
ニャルラトホテプがクトゥルフ神話のなかでどんな位置づけの神、または人物であるかを知っていれば、更に深い感想を持つことができるのかもしれません。
真由が唯一相談できそうなソフィアも、この騒動の中で失っているし。真由のとんでもない孤独に、胸に冷たいものを感じてしまう深いお話でした。