クマ撃ちの女

『クマ撃ちの女』は安島薮太さんの作品です。北海道で兼業猟師を勤める小坂チアキを、ライターの伊藤カズキが取材するところから物語は始まります。

チアキは30代の女性。狩りのことになると周囲への関心が極端に薄れます。そのためコミュ障の傾向があり、クマ狩り、特に通称『牙欠け』と呼ばれるヒグマの討伐に執念を燃やしています。

この作品は現在16巻まで発行されており連載中です。第1巻は2019年7月9日が発刊日となっています。

ここから先はネタバレしていますのでご注意下さい。

カズキは駆け出しのライター。ペットの密輸を題材にする企画を雑誌社に提出しますが「弱い」とあっさり却下されます。ふと見かけた記事の「狩ガール急増!狩猟ブーム到来か!?」という見出しを見て、おもしろい可能性もある、程度の気持ちでチアキを探し、取材を打診します。

チアキと一緒に山に入ったカズキは「いまクマに襲われるかもしれない」という恐怖や「疲労で動けずチアキさんの足手まといになってしまった」という焦りなどを感じつつも、「ウケるかもしれないから狩ガールの記事を書いてみる」という気持ちのまま下山します。シカ肉とキノコとビールでもてなされて舌鼓を打ち、ご満悦なカズキに、チアキは尋ねます。その日、チアキとカズキは、クマがシカを狩って喰った痕跡を見つけました。山に慣れないカズキの体力と安全を考えれば、チアキはその場で引き返すべきだった、とチアキは告白します。それでもチアキがすぐに下山しなかったのは「是が非でもクマを仕留めたい」という強い要望を持っていたからです。チアキは、同行者を危険にさらしてでもクマを撃ちたい自分に同行して本当によいのか、とカズキに問います。そのとき初めて、カズキは、クマ撃ちが命がけであることを理解し、チアキのクマ撃ちにかける気迫に気圧されます。

クマとの死闘をきっかけに、チアキが恐怖で山に入れない時期が続いたり、クセ者である「クマ狩りの師匠」に呼び出されたり、いままでチアキが避けていた地元猟友会との関係性が構築されたり、カズキがルポをだしてそれがバズったり、チアキの独断での行動が原因で駆除に失敗したことで世間からバッシングを受けたりしている間に、チアキとカズキの関係や理解度も深まっていきます。

2019年7月といえば、現実で、OSO18の被害の情報が全国報道で出始めた頃です。OSO18は、同年から2023年まで、家畜を荒らしまくった個体です。アタマが良くてハンターを回避し、食べるためだけでなく、殺戮そのものを愉しんでいる形跡があり、北海道東部の畜産家をはじめとする地域住民を恐怖に陥れ、全国でも度々広く報道されました。駆除されたときには、日本中のクマ愛好家が執拗に関係者に抗議したことの有名です。

熱心なクマ愛好家さんたちのご意見には賛成できるところもあり、違和感を覚えるところもありますが、このブログはマンガの感想なので、ここで私の意見を展開するのはやめておこうと思います。私の意見は、感想の中で透けちゃうとは思いますが。

2025年はニュースを聞きながら耳を覆いたくなるような悲惨な出来事もありました。市街地でのクマ目撃情報が10年前の数百件から数千件に増えていること、ご自身の仕事を放り出して命がけで駆除をする猟友会への謝礼が非常に低いこと、謝礼をとること自体を非難する現地町議が複数いて(猟友会を非難すれば票が取れると思っているということなので)危険にさらされている現地住民の中にすら「人命よりクマ優先」と考える方達がいること、猟友会の高齢化がすすんでいること、など、いままでまったく知らなかった情報が次々と耳に入ってきました。

この作品を連載開始当初から読んでいた方にとっては、このあたりのことはもう常識だったのですね。山でのハンターの動き、心得、クマ駆除の困難、クマと向き合う恐怖などが丁寧に描かれています。とはいえ、読むことは「お勉強」に留まるわけではなくて、チアキやカズキを始め、すべての登場人物が生き生きとしていて、チアキの情熱に引っ張られて息を飲みながらどんどん読み進めてしまいます。警察と連携した猟友会が駆除に取り組む中で、一匹狼として他のハンターらにも疎まれ、本人も気乗りがしないチアキを、その優れた能力を認めてチームに引き込む会長もかっこよくてシビレました。

クマ駆除を行う際には、駆除の対象となる個体が決まっているため、まず、そのクマがどこにいるかを把握します。そしてどのような動きを辿るかを予測して、ハンターたちの安全を確保しつつ、法令が許す状況で(例えば道路上ではないとか、発砲によって流れ弾で負傷する人が発生しないように、とかいろいろ)クマに対して発砲できる場所に、クマを上手く誘導する必要があります。チアキは、クマの動きを予測する能力を高く評価されます。

むか~し、Amazon Primeで、東野幸治さんがカラスハンターの女性のハンティングに同行して、狩ったカラスをいただく、という企画をやっていました。たしか『カリギュラ』というプログラムだったと思います。その後、東野さんは別のハンターのクマ狩りにも同行していたような気がします。

カラスハンターさんは、人里で、畑などにいる害鳥としてのカラスを狩ったのですが、映像の撮れ高のために狩りのジャマになることを実行するスタッフに静かにキレていました。カラスもアタマがいいので、ハンターの動きに敏感に反応して「撃ってはいけないところ」に素早く移動するし、人が活動する時間帯には警戒を強めます。貴重な早朝の時間をスタッフの暴走で失った彼女のピリピリが、ヒシヒシと伝わってくる名動画でした。案の定狩りは難航し、ついに仕留めると、彼女はそれまでのピリピリとは打って変わって、涙を流していました。東野さんは「そこまでプレッシャーだったんですね。」と労わりますが、ハンターとしての緊張感のうえに「番組成立のために絶対に狩りを成功させなけてばいけない」というとてつもない無言の圧が、ハンターさんをいかに追い詰めていたかがよくわかりました。

狩りに集中してさえいなければコミュ力も高く、カズキに気遣って饒舌に解説を加えるチアキからは、かのカラスハンターさんと同じ空気を感じました。いつもいつも自分に厳しくて、何があっても他人を責めたくなくて、寄せられた期待に応えたいという、カンペキ主義の女性。それが、私が捉えたチアキさんです。チアキが「私は、同行している素人のカズキさんの(山や狩りにおける)無知を利用して、カズキさんを犠牲にしてでもクマを撃ちたい、そういう人間です。取材中でもそれは変わりません。」的なことを宣言して、確認してからカズキの取材をゆるすあたり、チアキの「フェアな人間でありたい」という頑なさを感じました。それが、私の中ではあのカラスハンターさんの姿と重なります。カラスハンターさんはチアキほど変人でもないし頑なでもないし、穏やかで気遣いの細やかなステキな女性なのですが、ハンティングをしているご自分に対して「私は命をあやめている人物である」という明確な自覚を持っていて、だからこそ、ご自分を厳しく律しているように見えました。カラスハンターさんの孤高の美と緊張感と覚悟が、知らず知らずのうちにチアキと重なり、チアキの感情を勝手に推測して読み進めてしまいました。

チアキとカズキが長い時間を一緒に過ごす中で、実際にカズキを「おとり」にして狩りを行い、カズキの怒りをかうシーンもあります。チアキも自分の行動の、カズキに対する後ろめたさを感じながらも、だからといって自分の行動を変えることはできません。このあたりのそれぞれの葛藤も丁寧に描かれています。

最新巻の16巻は、ほぼ、雪山の中でチアキとカズキとイヌのワンがクマと奮闘する姿だけが描かれています。ボスクマと遭遇してカズキが滑落し、絶体絶命の中で、ワンに助けられながらクマと死闘するチアキは、初めて「クマを追うのをやめよう」と心に決めます。宿敵牙欠けを追うのをやめるのではなく、クマ狩りをやめようと。いままで、チアキが牙欠けの駆除に燃やす執念も背景も理解していて深く心配してくれている家族も、セクハラ目当てに女性を弟子にとる師匠の傍若無人な振る舞いも、立て続けにクマを駆除したあとに突然感じた山に入ることへの激しい恐怖も、猟友会の人たちの嫉妬も、カズキのルポを読んで勝手にチアキを崇拝して近寄ってきた不穏な女子の存在と理解不能な彼女の振る舞いも、牙欠けの駆除失敗をきっかけに舞い起こったSNSでの激しいバッシングも、チアキの情熱を冷ますことはありませんでした。そのチアキが、クマ狩りをやめよう、と決意するのです。理由は、カズキにつらい思いをさせたくないから。

チアキとカズキの気持ちは最初からずっと丁寧に描かれています。引き込まれて読んでしまうので、えっ、もう16巻?と、戸惑うほどです。チアキが「自分にとって一番大切なものがかわった」ことに、読者も感慨を覚えます。

じゃあ、何故、完結する前に感想を書いちゃうのか。

それは、16巻を読んで、ちょっとだけ「チアキ、気持ち悪い」と思ってしまったからです。

チアキが、滑落したカズキの傍らに、やっとのことで駆けつけて、生きている彼をしっかりと覗き込むときの顔、「全部私に任せて下さい。大丈夫ですから」と無理して大見得を切る時の、複雑な気持ちが透けて見えるシーン。このときチアキは、牙欠け以上に強い「ボスクマ」と死闘を繰り広げた直後です。そのときのチアキの心の動きと表情を見たら、本当は感動して、一緒に涙してもおかしくないと思うのですが。それなのに「気持ち悪い」と思ってしまった。

この作品に出会って、1巻から15巻を一気に読み、3カ月ほど時間があいて16巻を読みました。16巻も一気に読めていたら「気持ち悪い」なんて感じなかったのかもしれません。16巻でのチアキの動きは、クマを追いかけるために、野営の準備なく入って15時間の野宿をするころになった雪深い北海道の冬山で、猟師ではない恋人と自分と猟犬の命を守りながら、今までになく強大な敵と向き合うことでした。なのに、なんで私の感想は「気持ち悪い」なんだろう?

クマ狩りに全身全霊をかけてきた女性に、私が求めるのは、大切な人の命を守ることではなく、ボスクマを倒したことによる高揚と、牙欠け狩りへの新たな決意だったんでしょうか。うーーん。読んでる最中にはそんなこと考えてなかった、と思うんですけどね。チアキは「大切な人を危険に晒したくない。自分を危険に晒すことで大切な人を悲しませたくない」と思っていそうなんですが、16巻ではカズキが滑落して、彼を助けるためには彼を放置してクマと対峙しなければいけない状態だったので、チアキの行動と心情を中心に物語が描かれていました。そのせいか「カズキを守りたい」というチアキの気持ちすら、私には「チアキって人の気持ちはどうでもよくって、自分のことばっかり考えている」と、見えてしまったような気がします。今までずっと、自分の気持ち最優先で、たくさんの人が命をかけて関わっているクマ狩りの最中も自分の気持ち優先で、駆除の千載一遇のチャンスを台無しにしたチアキでした。バッシングされるのも当然の振る舞いでしたが、その描写を読んでいたときは、チアキに感情移入して「何も知らずにバッシングするなんてひどい!」と憤ってしまったのですが、ここでは何故かどうしても感情移入できませんでした。

このあとの展開はどうなるんでしょう。王道だと、チアキとカズキが率直に話をすることで、チアキの心をカズキが支えていることがチアキの中でより明確になり、それと同時に、カズキにとってもチアキが牙欠けを倒すことは大切な目標となり、そしてまた2人で山に入って最終的には牙欠けに勝利する、とかですかねえ。でも、チアキの心の動きを丁寧に描いてきたからこそ、お互いへの気遣いから議論をせず、そのせいで気持ちのかけ違いがおきてしまい、そのことが牙欠けとの対戦に影響する、ってストーリーもありそうです。

ひとまず、ここまでの感想を書かせていただきました。

そういえば、野食ハンター茸本朗さんが、熊の掌を調理して食べてました。クマの肉はさして高くないのに、クマ料理になると、何故目が飛び出るのか、が推測できる動画です。要するに、調理に手間がかかり過ぎるのです。掌の毛を抜くだけで3時間半。煮込みに1時間半。そこからいわゆる、調理します。食しての最初の感想は「ワイルドな豚足」でした。クマの掌だと、豚足と違って肉部分もガッツリ味わえるらしく、とても美味しいそうです。茸本さんはOSO18とラベルづけされた肉も調理して召し上がっています。そちらは筋肉のスジが硬くて、味もおいしくないそう。今年の報道で、クマは主にドングリなどを食べていると言っていましたが、OSO18は牛などを食べていたので、そのような結果になったらしいです。

ってことは、人間も美味しくないですよね、きっと。ヴィーガンとかは、普通の雑食の人間と比較すると若干美味しいのでしょうか?いずれにしても、呪術的な意味合いや飢餓や闘争が理由で食人が行われた事例は幾つもあるようですが、食人が一般化しなかったのは、実はモラルの問題とかではなくて「美味しくなくて、食する価値がない」からではないかと疑っています。もし人間がおいしかったら、貪欲な人間のこと、なんとか理屈をつけて人間を食していたと思うんですよ。人間がまずくてよかったぁ。

なんだか、脱線しちゃって、とんでもないことを語っちゃいました。